リレーコラム 各国知財政策の展望
プロパテントの多義化によるイノベーション戦略

東京大学政策ビジョン研究センター 教授
渡部俊也

2013/7/22

AFP=時事

An apple with the WePad logo is pictured during the press conference of the presentation of German IT company Neofonie's new "WePad" tablet computer in Berlin on April 12, 2010. The German-made touchscreen device, which looks similar to Apples iPad, is based around Google's open Android operating system.

このリレーコラムでは、日本、米国、欧州、中国等、様々な地域に滞在している政策ビジョン研究センター 知的財産分野の研究者が、滞在国の知財政策に関係する話題を採り上げて解説します。

人気のある知財マネジメントの授業

技術経営の大学院専攻で知的財産マネジメントの講義を2006年から担当している。毎回ケースを読んだうえでグループ討論に臨むというような授業で、それなりに負荷も大きいため、受講者は毎年15人から20人といったところだが、昨年から少し増え始めて今年は受講者が30人を超えた。工学系以外に理学系研究科の大学院学生も多い。質疑を聞いていても、例年より知的財産に対する関心が高くなっているように思える。学生に聞いてみると、関心を持ったきっかけの一つは、アップル対サムスンなどのスマートフォンの知財訴訟であることが多い。2011年4月にAppleが米国カリフォルニア州北部地区連邦地方裁判所に、SamsungがスマートフォンなどでAppleの知的財産権を侵害したとして提訴して以来、一連の訴訟は、欧州各国や韓国、日本、オーストラリアなど世界中10か国以上に飛び火した。スマートフォンという身近な製品の世界の市場を巡る争いの主戦場が知的財産権であったことは、確かに世間の耳目を集めるものであった。しかしこの訴訟の最も注目すべきなのは、その訴訟の規模や広がりだけではなく、オープンイノベーション戦略の中で、従来なかった複雑な構造の中で訴訟が行われていることである。

Apple vs Samsung 訴訟とオープン知財マネジメント

良く知られているように、Appleの本当のライバルは、スマートフォン用のOSであるAndroidを提供しているGoogleである。しかしGoogle自身はスマートフォンの製造販売は行っておらず、Androidをオープンソースソフトウエアとして、無償で誰にでも供給しているため、Androidの提供を受けてスマートフォン端末を製造販売しているSamsung等のメーカーが代わりに訴えられているといった構図になる。GoogleはAndroidの無償提供によって、自社の検索等のサービスを行う上で有利な環境をつくれる。つまりこれは自分の経営資源であるAndroidを他社に活用してもらうことによって、自社に好都合なビジネスシステムを構築することを狙ったオープンイノベーションの典型である。

Androidの提供は、オープンソースソフトウエアのライセンス契約 によって行われている。無償で提供するといっても、著作権が放棄されているわけではない。著作権は厳然と保持することで、Googleにとって好都合な形でAndroidがより多くのユーザーに共有されていくことを実現させようとするものである。このように、もともと技術の独占のために生まれた知的財産制度を逆手にとって、オープンイノベーションのために他者と技術を共有して発展させようとするマネジメントが最近盛んに行われている。このようなオープンな知財マネジメントは、著作権だけでなく、特許その他多くの知的財産について利用されるようになってきているが、その始まりは1989年のGNU (General Public License)という契約にさかのぼる。特許制度は500年以上、著作権制度も400年以上の歴史を有する古い制度だが、これらを独占ではなく、オープンな知財マネジメントとして利用しようとする試みはわずか20年程度の歴史しかない。しかしApple対 Samsung訴訟に見られるように、現在では、数多くの、そしてグローバルなスケールのビジネスシーンでオープンな知財マネジメントは極めて重要な役割を果たすようになった 。

変貌する各国の知財政策

オープンな知財マネジメントの台頭だけでなく、過去10年間で世界での知財の動向は大きな変貌を遂げつつある。世界の特許出願件数は、中国を中心に爆発的な伸びを見せており、これに伴って知財を巡る紛争も、先進国だけでなく新興国でも、その件数を急増させている。スマートフォン訴訟の影響もあって、知財取引も一段と盛んになっており、各国でオークション取引など様々な形態の知財取引市場が開設されている。さらには、これらの知財取引を後押しする知財ファンドや様々な知財サービス事業者も増加している。

このようななか、今年2013年3月16日には、かつては当分難しいだろうと思われていた、先発明者主義から、世界の標準となった先願主義へ米国特許法改正が施行された。いわゆるプロパテント(特許重視)から転換するのではないかと思われる最高裁判決も出されている 。そして逆に、模倣品などで世界から知財保護に関して問題視されてきた中国では、既に日本をはるかに凌ぐ、大量の件数の特許が出願されており、プロパテントの道にまい進しているとする識者もいる。

先述したように現在の知的財産制度はイノベーション戦略のツールとして多様な活用方法が生まれているために、新興国を含む多くの国で、自らのイノベーション戦略の手段として知的財産政策が位置付けられている。そのため、制度改正や知財の動向だけを見て、プロパテントだとかアンチパテントだとかいう解釈をしても、実際には意味があまりなくなっている。そもそも特許を重視するといっても、オープンな知財活用を重視するのと、技術の独占のために特許を重視しようとするのでは、イノベーション戦略としての意味は大きく異なる。従って、現在の世界の知的財産政策の動向を深く理解するためには、各国の制度改正等を、その国のイノベーション振興とどう結びつけようとしているのかを理解しなければならない。言い換えれば、個々の知財制度のイノベーション戦略としての意義を明らかにしていくことが求められている。

本リレーコラムの主旨

本リレーコラムでは、このような視点に立って、世界における知的財産の動向の背景にあるものを掘り下げていくことを試みようと思う。まずは今、どのような知財の動きがどこの地域で起きているのかを紹介していきたい。日本、米国、欧州、中国等各地域に滞在している政策ビジョン研究センターの客員研究員には、各々各国知財政策に関係する話題をとりあげて解説をしていただき、世界の知財動向の理解のために示唆を与えるようなコラムをお願いした。

さて、激しく変貌する知財の風景を巡る世界一周の旅に出ることにしよう。