ネットワーク理論でみた技術革新 ②

この記事は日本経済新聞「やさしい経済学」2010年7月7日〜19日に掲載されたものです。

坂田一郎 教授

知識の爆発・細分化

今日、新たにつくり出され社会に発信される知識の量が急増している。東京大学の小宮山宏前総長はこれを「知識の爆発」と呼んだ。例えばDNA(デオキシリボ核酸)に関する主要な研究論文の発表は、J・ワトソンとF・クリック が二重らせん構造を発見した1953年当時は年間100本程度にすぎなかった。この程度なら、全部に目を通し、その領域の研究の流れ全体を見渡せただろう。

ところが現在では、それは年間10万本を下らないのではないかといわれている。どんなに頭がよくて勤勉な研究者でもその1割にでも目を通すことは物理的に不可能である。この状況下では全体像がどんどん見えなくなっている。こうした現象は、21世紀に入り、地球温暖化対策として注目をされているグリーンテクノロジーの分野でも顕著である。

DNA研究の論文数の推移

一方、知識の爆発と同時に起きているのが「知識の細分化」である。先端研究における研究テーマは細分化が進み、また、研究開発競争の激化とともに研究者たちが周囲を見渡す余裕がなくなっている。知識の爆発と細分化は、人間の読解や認識能力の限界を認知させ、知識領域の全体像を俯瞰(ふかん)することや個々の知識間の関係を把握することを著しく困難にしているといえるだろう。

D・ピーターズ 米ノースダコタ大教授らの投稿実験(1982年)は、こうした状況を浮かび上がらせるものだった。これは著名な学術誌に一度、採録された12本の論文を選び、著者名などを変更した上で、もともと掲載されていた学術誌に再び投稿するという実験だ。編集者やレビュー者が一度掲載された論文だと気づいたのは3件だけで、残り9件は、本来必要のない査読プロセスに回された。このことは、著名な論文誌の熟練した専門家であっても、物理的な限界に直面しているという意味では例外ではないことを示している。

知識の爆発と細分化は、社会的な課題解決の可能性を高めるという面では、本来、積極的に評価すべきだろう。だが先に述べたような状況の結果、政府や企業の技術開発戦略の立案、すなわち知識の有効活用に向けた方策の立案が難しくなっていることも否めない。知識の全体像や関係が見えなくなると、先を読むことも困難になり、有望な技術を見誤るリスクは高まる。組み合わせれば有為な技術を見いだすことも難しくなろう。そこで、ネットワーク理論を応用し、戦略立案に対して構造化された知識環境を提供する手法が必要になってくるのである。


ネットワーク理論でみた技術革新 連載一覧(坂田一郎教授)

①幅広い分野に応用 ②知識の爆発・細分化 ③「学術俯瞰」とは ④研究の「見える化」 ⑤技術ロードマップ ⑥研究協力の実像 ⑦学術と産業技術 ⑧ミッシングリンク