ネットワーク理論でみた技術革新 ⑧
この記事は日本経済新聞「やさしい経済学」2010年7月7日〜19日に掲載されたものです。
坂田一郎 教授
ミッシングリンク
これまで技術革新のマネジメントに関連してネットワーク理論の適用例をいくつか眺め、ノードとリンクの定義を変えることでネットワーク理論に様々な応用の可能性があることを紹介した。ほかにも、ノードを企業や大学とし、リンクを取引や共同研究とすれば、地域のイノベーションネットワークを見える化できる。また、ネットワーク内における特定の論文の位置取り、例えば、知識集団の中心に近いか遠いか、を指標化すれば、論文の評価に対し、現在多用されている引用数とは異なる視点が提供できるだろう。
ネットワーク理論の応用が生み出した本質的な価値とは、ミッシングリンク、すなわち普段は埋もれて気づかない事象の発見に貢献したことだ。学術俯瞰(ふかん)からは知識同士の関連性や個々の知識と知識領域全体との関係性が、共著分析からは世界的な知のつながりの構図が、論文と特許の2つのネットワークの比較分析からは学術と産業技術の間の知的なつながり関係が、それぞれ見いだされた。こうしたミッシングリンクの発見は、ネットワークという分析の枠組みが、飛行機からナスカの地上絵全体を見渡すような「眼」を我々に与えてくれたことで可能になった。
今後、本理論の応用が最も期待されるのはどのような分野であろうか。それは医療の技術革新である。政府や地域も、検診結果や診療のプロセスといった医療情報の価値に気づき、その蓄積を促す方向に動き始めている。医療情報の大半は、これまで院内で患者個人の治療に使われるほかは利用されないまま保管されてきた。今後、情報と情報を間違いなくつなげるためのIDの導入と個人情報の二次的利用のためのルール整備が実現すれば、膨大な医療情報が本理論を用いた知識の構造化の本格的な対象となり、様々なミッシングリンクの発見につながる可能性がある。例えば、塩酸アマンタジンは、A型インフルエンザとパーキンソン病の治療薬という2つの顔を持つことが知られている。この薬はもともとインフルエンザウイルスに対する抗ウイルス薬として開発されたが、インフルエンザにかかったパーキンソン病の患者に処方したところ、症状が改善したことから、パーキンソン病に効くことが発見された。これは偶然の結果だが、大量の医療情報を分析すれば、体系的にこうした関連性が見いだせるようになると期待される。
ネットワーク理論でみた技術革新 連載一覧(坂田一郎教授)
①幅広い分野に応用 ②知識の爆発・細分化 ③「学術俯瞰」とは ④研究の「見える化」 ⑤技術ロードマップ ⑥研究協力の実像 ⑦学術と産業技術 ⑧ミッシングリンク