言葉の危険からの脱却 − 成熟トルコ 訪ねて実感

東京大学法学政治学研究科教授
藤原 帰一

2013/10/23

EPA=時事
Palestinian refugee students wave Turkish and Palestinian flags during a rally beckoning Turkish Prime Minister Erdogan to visit, at the Port of Gaza, on 13 September 2011. Turkish President Recep Tayyip Erdogan, a staunch critic of Israel's raid 2010 on a Gaza-bound aid flotilla, is due to arrive in Cairo 12 September for a three-day visit, which is the first leg of his 'Arab Spring' tour that will take him to Tunisia and Libya. Israel's raid on a Gaza-bound aid flotilla last year killed nine activists on board a Turkish ship trying to break Israeli naval blockade of Gaza. Erdogan is due to discuss the Palestinian bid which seeks unilateral recognition of a Palestinian state through the United Nations General Assembly after peace talks with Israel have been stalled for nearly a year.

活字で読むだけでは判断を間違える。これはどの分野にも当てはまることだろうが、国際関係では特にその危険が高い。

日本語に頼るだけでは情報が乏しい。英語なら資料の数は多いが、英語圏の読み手の関心に合わせて情報が選ばれ、あるいはゆがめられている危険がある。もちろんその土地の言葉を理解するのが第一だが、文章を読むところまで習得できる言語は少ない。言葉を通して考えるという行為は言葉によって考えを操作され、ゆがめられる危険を免れない。

この危険を減らす一つの方法が、その土地に行って、話を聞くことだ。会話で使う言語によって話し相手も内容も制約されるし、数人の方からお話を伺っただけでは何がわかるというものでもない。それでも、文章を読むだけでは気がつかない微妙なニュアンスを知ることはできる。今回トルコに出張したのはそんな理由からだ。

トルコは、まず軍とイスラムの対立にひとつの答えを与えた国として重要である。イスラム圏諸国の多くでは、世俗主義を掲げる軍部と、イスラムの教えを政治に反映しようとする政党との対立が繰り返された。ムルシ大統領が軍事クーデターで追い落とされ、ムスリム同胞団への弾圧が続く現在のエジプト情勢は端的な例である。

この対立を打開するためには、議会制民主主義のルールのなかで活動することを軍が受け入れるか、イスラム政党がイスラムの政治的表現を抑制するか、そのどちらかしかない。前者の例がインドネシアであるとすれば、後者の例がトルコである。まさに政党と軍の対峙が特徴であったトルコでも、1980年以後は軍事クーデターが起こっていない。政治の文民化も進み、イスラム色の強い公正発展党が政権につきながら軍と政党の対決は慎重に回避されている。イスラム社会における民主主義を考えるとき、トルコは一つのモデルを提供している。

トルコに注目するもうひとつの理由は、政治的不安定の続く中東・北アフリカにおいて、トルコが独裁に頼らない安定を実現しているからである。アラブの春が冬に暗転するなか、この地域で一応の安定を保つのは、専制支配に頼る湾岸諸国を別にすればトルコしかない。資源が乏しいにもかかわらず経済成長に成功し、中間層が拡大している点も重要だろう。シリア内戦やエジプトの政情不安など、不安定ばかりが目立つこの地域において、トルコの役割が拡大するのは確実である。

だが、そのトルコを二つの波が襲っている。第一は、隣国シリアで進む内戦の波及である。トルコに流入した難民は50万を超え、エルドアン首相はシリアへの国際介入を呼びかけていた。ほんとうに戦争を求めているのか。もし英米とともにシリアに介入すれば、現政権になって中東諸国と築いた信頼が壊れ、湾岸諸国からの投資やイランからの原油調達に支障が生まれるのではないか。トルコに行って確かめたい第一のポイントだった。

トルコを襲う第二の波が、エルドアン政権の失速である。2003年の首相就任からすでに11年目、国内では政治的安定と経済成長、国際関係ではクルド紛争の打開や中東諸国との関係改善などめざましい成果を上げたこの政権も、2013年6月、タクシム広場再開発に反対して結集した群衆に粗暴な弾圧で応じるなど、長期政権のひずみを見せていた。エルドアンの時代は終わったのか、現在の安定は保持できるのか。トルコで確かめたかった第二のポイントである。

イスタンブールで専門家や財界人からお話を伺うなかで、意外だったのはシリア介入を求める声が少ないことだ。シリアで続く殺戮にも難民流入にも懸念は強いが、軍事介入によって中東におけるトルコの信認が揺さぶられ、経済に悪影響を及ぼす懸念のほうがさらに高い。英米両国による軍事制裁の可能性が遠のいたことについてはそれを歓迎する意見が強かった。

エルドアン政権については、首相に全部賛成する人と全部反対する人に分かれるのでなく、エルドアン首相の功績を評価する人でもタクシム広場での弾圧については厳しい批判を加えていた。政治家を善玉や悪玉として決めつけるのではない、成熟した政治の言論である。

シリアの混迷も難民流入も続いている。エルドアン首相が、欧米諸国や国連と対決するかのような派手なレトリックをやめたわけでもない。だが、現在のトルコは、イスラム政党と軍部が不寛容に向かい合う過去を確実に克服したように見える。トルコの人々とのお話のなかでその手応えを感じることができた。

この文章は朝日新聞夕刊の『時事小言』に 2013年10月16日に掲載されたものです。