特定秘密保護法案 − 知られない権利も危機

東京大学法学政治学研究科教授
藤原 帰一

2013/11/22

AFP=時事

特定秘密保護法案について行われる議論のほとんどは、政府が秘密を隠すことによって国民の知る権利が奪われるのではないかという論点に集中しているようだ。だが、別の問題もある。それは世界各国の政府によって電子メールや電話の内容が監視され、国民の個人情報が政府に筒抜けとなってしまう危険である。知る権利ではなく、国家に知られない権利の問題だ。

2013年5月、アメリカ国家安全保障局(NSA)の元外部契約職員エドワード・スノーデンが、大量の政府文書とともに香港に逃亡した。各国の報道は逃走するスノーデンをロシア政府が受け入れるのかどうかという点に焦点を置いていたが、事件の本質は政府による情報収集の実態が内部告発された点にあると見るべきだろう。スノーデンが手にした情報の報道を抑えるべくイギリス政府は強い圧力を加えたが、その干渉をはねのけるように英ガーディアン紙は報道を続け、世界の政治指導者35人の電話をNSAが盗聴していたことも暴露された。

情報収集の対象は政府だけではない。ガーディアン紙によれば、NSAは携帯電話の事業者に対して数百万人に上る通話履歴の提出を求めていた。誰に誰が電話したのかという、まさにプライバシーそのものの情報が、国民の知らないところで政府に伝えられようとしていたのである。

NSAの活動を可能としたのはデータ通信の拡大だった。かつての情報収集には盗聴器の設置やスパイの養成が必要であったが、現在は大量の電子データにアクセスするだけで膨大な情報を手に入れることができる。人手によってそれらを解明することは不可能だが、キーワードを設定しその結びつきを検証することで、「怪しい通信」を機械的に抽出することはできる。ビッグデータの時代が訪れることでかつてない規模の諜報活動、いわばビッグインテリジェンスが実現するのである。

ここで気になる報道が一つある。共同通信によれば、NSAは光ファイバーケーブルを経由する電子メールや電話の傍受に協力するよう、日本政府に打診を行っていたという1。当時の民主党政権は法制度の不備などを理由としてこれを断ったというのだが、打診が行われた2011年の後にどんな展開が続いたのか、私の見る限り報道はない。

そして、特定秘密保護法案の第9条には、一定の要件の下で外国の政府または国際機関に特定秘密を提供できるという定めがある。日本政府が以前には断ったメールや電話の傍受を受け入れる方針に変わる可能性は否定できない。

こういえば、侵略やテロの脅威に関連する情報を各国が共有するのはあたりまえではないかという反論があるだろう。私も、国防をはじめとする特定の領域について政府が情報を秘匿することは、許されるばかりか必要な行動であると考える。さらに、個人のプライバシーを踏みにじるようなマスメディアによる報道は弁護の余地がない、いま必要なのは知る権利よりもマスメディアに知られない権利ではないかとさえ考える。

だが、侵略やテロの防止が必要であるとしても、その目的を達成するためにどのような情報の獲得が許されるのか、個人情報の保護と安全保障の要請との間のバランスをどのように取ればよいのかという問題は残る。国家による情報収集と機密保護は、常に国民の私的自由、国家の干渉から私生活を守る権利との緊張関係に立つからだ。

誰の情報をどこまで獲得してよいのか、その判断が国民の手を離れて政府に委ねられるのなら、国防の必要という名の下で国民のプライバシーが奪われ、警察国家のような状況が生まれてしまう。さらにいえば、大統領さえ解任できないまま米連邦捜査局(FBI)に居座り続けたフーバー長官を見ればわかるように、情報機関が政府のなかにもう一つの政府をつくってしまい、当の政府さえコントロールのできないモンスターとなってしまう危険もある。

すでに指摘されているように、現在の日本政府は情報収集と機密保護の両面においてまだまだ不十分であり、制度づくりが必要なのは事実である。だからといってグローバルスタンダードに従えばいいわけでもない。スノーデンは、アメリカやイギリスを中心として、政府によるビッグデータの収集と捕捉が進められていることを暴露した。特定秘密保護法がそのようなデータ収集の一環となり、国家に知られない自由が侵されるのではないか。それが、特定秘密保護法案のはらむもう一つの問題である。

この文章は朝日新聞夕刊の『時事小言』に 2013年11月20日に掲載されたものです。