戦争責任めぐる対立 − 相手の視点得るために

東京大学法学政治学研究科教授
藤原 帰一

2014/3/4

EPA=時事

安倍晋三首相の靖国神社参拝の波紋がやまない。防空識別圏設定のために国際的孤立を深めていた中国は首相参拝への批判を繰り返し、国際関係を不安定としているのは日本だ、中国ではないというキャンペーンを展開している。日本の在外公館は反論を行っているが、効果を上げているとはいえない状態だ。

どうすればよいのか。日本政府の対応は、軍備増強と攻撃的政策を進めているのは中国だ、既に公的に謝罪した戦争責任を問い直すよりも中国への警戒が重要だというものだ。その通りなのだが、これだけでは第2次世界大戦を日本が正当化しているとの懸念を取り除くことはできない。

日本の外から聞こえる声は、ドイツのように戦争責任を自覚し、謝罪を行い、補償せよというものだ。村山談話が謝罪と呼べるのか、アジア女性基金は補償といえるのかなどという一連の議論がそこから生まれることになる。

私は、日本政府は村山談話によって戦争責任を認め、謝罪を行ってきたと考える。第2次世界大戦について日本国民が健忘症にかかっているという外国で広く見られる議論にも賛同できない。だが、村山談話を堅持すれば歴史問題が解決するとも考えない。繰り返してきた謝罪が相手の胸に届いていない現実から目を背けてはならない。

問題は犠牲者の選択にある。植民地支配と第2次世界大戦の犠牲者が日本国民に限られないことはいうまでもない。だが、これまでに日本で語られてきた戦争は、広島・長崎の被爆を中心とした、軍人ではない日本国民が戦争の犠牲となった物語が中心となっていた。

この広島の語りに対し、従軍した兵士の名誉回復を求める靖国の語りが近年の日本で広まっていった。日本の外では、日本人ではない犠牲者を主体とする記憶、いわば南京の語りが戦争の記憶の中核にあった。

どの語りが正しいという選択には意味がない。広島・長崎、あるいは東京大空襲の犠牲者が追悼されるのは当然だろう。殺された側から見れば日本軍の兵士は加害者だが、自分の意思に反して戦場に送られた兵士が大多数を占めただけに、同じ兵士に被害者という側面もあるのだから、追悼されること自体は当然だ。日本の侵略によって殺害された人びとがその遺族から悼まれるのもまた当然だろう。

だが、特定の犠牲者だけが追悼されるとき、戦争の記憶には政治性が生まれる。南京の語りによって戦争を記憶してきた人の目には、靖国の語りはもちろん、広島の語りも異様に見えるだろう。逆に広島を通じて戦争を記憶してきた日本国民は、南京の語りに出会うとき、なぜ戦場で人殺しをしたわけでもない自分が殺人者のように語られるのかとまどい、反発することもあるだろう。

国境を越えて戦争を見ることはできないのか。その可能性を示す挿話が、一つある。

家族の多くを日中戦争で失った郭宝崑(クオパオクン)は、中国からシンガポールに逃れ、やがて劇作家となった。後に招かれて日本を訪れたとき、郭は自分の故郷に近いところで死んだ日本兵士の墓に出会う。殺人者を追悼する人がいることに衝撃を受けた郭宝崑は、その経験を踏まえ、「霊戯」と題する戯曲を執筆した。登場するのはすべて亡霊、それも日本人ばかりであることが次第にわかってくる。そして、登場する亡霊の誰もが、戦争によって失ったものを語っている(郭宝崑『花降る日へ 郭宝崑戯曲集』)。

自分の家族を日本兵に殺されながら、第2次世界大戦が日本国民にとっても喪失であったことを郭宝崑は捉え、それによって戦争そのものを描いた。すでに『戦争を記憶する』に書いた挿話をここで繰り返すのは心苦しいのだが、改めて思うことがある。日本に住む私たちは、日本国民ではない人びとの経験した戦争を知ろうとしてきただろうか。

1月末に東京で開いた国際会議で歴史問題が議論されるなか、ひとつの提案が行われた。それは、安倍首相が南京を訪問し、習近平国家主席が広島を訪問する、つまり日中の首脳が相手の国民の戦争経験に触れるという提案である。オバマ大統領が広島を、安倍首相が真珠湾を訪れてはどうかという提案もあった。

そんなことをすれば相手を勢いづかせるだけだ、という懸念もあるだろう。中国やアメリカに迎合するのかと反発する人もいるだろう。だが、国籍や地域を限ることなく戦争の犠牲者を見る視点を得ることで初めて、戦争の記憶をナショナリズムから解き放つことができる。その時ようやく、日本の語る未来を他の国民も共有することが可能となるだろう。

この文章は朝日新聞夕刊の『時事小言』に 2014年2月19日に掲載されたものです。