ウクライナ危機 − 衝突する二つの論理

東京大学法学政治学研究科教授
藤原 帰一

2014/4/25

AFP=時事
A senior high school student wearing a Soviet era navy uniform carries a red flag as he walks past the WW II Memorial to the Heroes of the defense of Sevastopol 1941-1942 in Sevastopol on March 29, 2014. Russia on Saturday pledged it would not invade mainland Ukraine following its seizure of Crimea and said it favoured the ex-Soviet state becoming a federation as a way of defusing the crisis.

ウクライナ政変に始まる混乱が収まらない。そこに見られるのは、二つの異なる世界観の衝突である。

ウクライナでヤヌコビッチ政権が倒れた直後、ロシア系武装勢力がクリミアを制圧し、クリミアがロシアに併合された。いまウクライナ東部では親ロシア武装勢力と政府の軍事衝突が起こり、ウクライナ国境にはロシア軍が集結していると伝えられている。4月17日には米ロにウクライナ・EU(欧州連合)を加えた4者会談が予定されているが、情勢の打開は厳しい。

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この情勢を冷戦の再開と捉える人も現れた。だが、東西の軍事的対立だけではなく、その対立の背後にある考え方に注目したい。自由世界の論理と国民国家の論理の衝突である。

ウクライナ危機は報道する側によって内容も意味づけも異なるものだ。欧米のテレビ局、BBCやCNNでは、ロシアによるクリミア併合はナチス・ドイツによるチェコのズデーテン地方併合に匹敵する武力行使であると伝えていた。そこには、どれほど形式的には議会制民主主義をとっていても、ロシア政府は欧米諸国と人権や民主主義を共有する存在ではないという認識がある。

ロシアのテレビは、まるで違う物語を伝えていた。ウクライナの政情不安が激化した昨年11月以来、ロシア国営放送は、ウクライナ各地でテロリストがロシア系国民の安全を脅かしていると繰り返し伝えた。そこでは、首都キエフの反政府運動は、選挙によって選出されたヤヌコビッチ大統領を暴力で追い落とす、ナチスに類する反民主勢力にほかならなかった。

対立する勢力の背後に外国の策謀があると訴える点でも、欧米とロシアの報道には奇妙な類似性があった。BBCやCNNがプーチン大統領は親ロシア系勢力を操っていると伝えるとき、ロシアのテレビは欧米諸国がウクライナの反政府勢力を後押ししていると報道していた。

冷戦終結以後の西側世界を支えたのは、欧米諸国の支援を背景として、市民の合意に基づいた自由な統治を世界に拡大するという自由世界の論理だった。西側諸国への市場統合は欧米経済に富をもたらし、NATOの東方拡大が欧米諸国の軍事的影響力を拡大したことも否定できないが、そのような富と力の拡大は、自由な統治を支えるという理念によって正当化されてきたのである。その欧米の論理から見れば、ウクライナにおけるヤヌコビッチ体制の崩壊は、民主政権の打倒ではなく、民主主義を踏みにじる政府を市民が倒すという自由世界拡大の過程であった。

だがロシアから見れば、冷戦終結は欧米諸国によるロシアとスラブ系諸民族の排斥をもたらした。東西冷戦のいわば負け組としてソ連が解体し、解体後の多くの諸国ではロシア系住民が少数派となった。かつての地位を失ったロシア系住民は迫害する側から迫害される側に転じたのである。

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ロシアの報道に見られるのは、プーチン大統領の下で資源開発を頼りに経済を立て直し、オリンピックも開催するほどの大国として再興したロシアが、欧米による迫害に抗する地位を手にしたというイメージだ。外国の圧迫や介入にひるむことなく国内国外に住むロシア人の生命と安全を保つべきではないか。欧米諸国の行動が自由世界のイデオロギーに支えられたとすれば、ロシア政府の行動の背後には傷ついた国民感情の回復を求めるナショナリズムがあった。

突き放して言えば、ロシアにとってクリミア併合は愚かな選択だった。クリミアは併合できてもウクライナの制圧を試みればNATO諸国が軍事介入に踏み切る可能性が高い。さらに、資源輸出に頼るロシア経済は世界市場から孤立すれば成り立たない。西側諸国が経済制裁を強化するだけでもロシア経済への打撃は大きいだろう。資源供給によってロシアがヨーロッパを左右するという期待は幻想に過ぎない。

だが、いったんナショナリズムに訴えて国民世論を動員すれば、そのナショナリズムが政治家の選択を縛ってしまう。東ウクライナで自治を求めるロシア系住民の活動をプーチン政権が見捨てることは難しく、見捨てないためには意に反する軍事介入を強いられるからだ。欧米諸国の立場も苦しい。どれほど支援を強化しても、ウクライナの経済的脆弱性と政治的不安定の解消はできないだろう。

そこから生まれるのは、急進的武装勢力と脆弱な政府の対立が続き、その角逐が米ロ関係を振り回すという構図である。欧米諸国とロシア政府が価値観を離れてプラグマティックな解決を模索しない限り、この倒錯した構図が続くだろう。

この文章は朝日新聞夕刊の『時事小言』に 2014年4月15日に掲載されたものです。