イラク戦争の教訓 − 力の過信の愚、繰り返すな

東京大学法学政治学研究科教授
藤原 帰一

2014/7/18

AFP=時事

国際政治には、その時々の人々が共有する判断、いわば常識がある。なかには残酷な選択やモラルに反する議論もあるので表だって語られるとは限らないが、常識に反する議論をすれば相手にされないから、常識に従うことになる。ところが、その常識が正しいとは限らない。

アメリカを中心とする諸国がイラク侵攻を準備していた2003年、マスメディアから官庁・大学にいたるさまざまなところで、フセイン政権は力で倒すほかにない、誰でもわかっていることだと語られていた。特定の新聞社やテレビ局に限ったことではない。紙面や番組では戦争に反対しているように見える会社でも、イラク介入の必要性は疑う余地のない常識として語られていた。

私は、イラク介入は不必要だ、要らない戦争を戦ってはいけないと考えていた。不必要で愚かな戦争の開始を黙って見ていることは私にはできなかった。だが、イラク介入に反対すると、必ずといっていいほど、ほかに方法があるというのかという反論が返ってきた。フセインの独裁を認めるのか、イラクの民主化に反対するのかなどと詰め寄り、学者は楽なものだ、何でも反対するだけではないかと言い放つ人もいた。

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いま、マリキ政権のもとのイラクの政情は混乱を極め、シリアとの国境から中部地域ではイラク・シリア・イスラム国(ISIS)を名乗る武装勢力が新政権の樹立を宣言している。では、イラク侵攻から現在までのイラクで、いったい何が起こっていたのか。トビー・ドッジの近著『イラク戦争は民主主義をもたらしたのか』(みすず書房)は、マリキ首相の下で宗派対立が激化し、武装勢力の台頭する過程を克明に描いている。そこから浮かび上がるのは、フセイン政権という独裁政権を倒した結果が、国家の統治の破壊、そして破綻国家の誕生であったという残酷な現実である。

忘れてならないのは、2003年にイラクを攻撃しなければ、このような状況は生まれなかったことだ。フセイン政権が極度の独裁政権であり、その抑圧の下でイラク国民が苦しめられてきたことは事実である。だが、その政権が倒された後の統治の破綻と内戦の勃発を前にするとき、イラク介入は必要だった、正しかったと主張する根拠はどこにあるだろうか。フセイン政権は倒すべきだというかつての常識の誤りは、無残なまでに露呈されたというほかはない。

どこが間違っていたのだろう。東西冷戦の終結を受けて、民主主義と資本主義の勝利は誰の目にも明らかとなっていた。冷戦のもとでは西側の軍事介入がソ連との戦争にエスカレートする可能性があったが、その冷戦が終わった以上、地域紛争に軍事介入を行っても世界戦争となる可能性は小さい。そのような西側諸国の軍事的優位を背景として、国際社会の軍事介入によって平和と民主主義を実現できるという過信が生まれた。

だが、どれほど軍事的優位を持っていても、軍事介入によって安定した統治をつくることはできない。マリキ政権が当初期待されたような親米的民主主義とはまるで異なることを熟知しつつも、アメリカはイラク撤兵を進めるほかはなかった。イラク国民のためではない。米軍の犠牲を最小限にするための撤兵である。

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いまアメリカでは、イラク政治の混迷を前に、オバマ政権の失態を非難する声が高まっている。イラク撤兵を急いだから不安定が生まれたのだとか、ISISを倒すべきだとの指摘も数多い。だが、問題の根源にマリキ政権におけるスンニ派の政治的排除とその結果としての宗派対立の高揚がある以上、軍事介入の効果に過大な期待を持つことはできないだろう。

現在のオバマ政権は、イラクに軍事顧問を派遣する一方で軍事介入は手控え、スンニ派やクルド人の政治参加の拡大を認めるようマリキ政権に圧力を加えるとともに、スンニ派急進勢力の内部対立を利用して反政府勢力の分断を画策するなど、間接的な政治工作に終始している。このような消極的とも見える政策に反対があることは十分に理解できるが、大規模な軍事行動に訴えることで状況が悪化する可能性を考えるなら、決して愚かな選択であるとはいえない。

国際関係には力によって支えられているという側面がつきまとうだけに、国際関係における軍事力の役割を無視することは賢明ではない。だが、力の優位は力の過信を招く。2003年イラク介入を支えたのは、国際政治の現実的な分析ではなく、力の過信であった。その誤りを繰り返してはならない。

この文章は朝日新聞夕刊の『時事小言』に 2014年7月15日に掲載されたものです。