戦場を知る責任 − 犠牲の記憶が隠す事実

東京大学法学政治学研究科教授
藤原 帰一

2014/10/22

EPA=時事

朝日新聞が吉田清治証言を誤りと認めたことに端を発して、第2次世界大戦中の従軍慰安婦をめぐる議論がさかんに行われている。

吉田清治による「証言」は誤りであり、朝日新聞はその誤りを伝えた。誤報を理由として朝日新聞に批判が加えられるのは当然だろう。だが、吉田証言の報道によって韓国で慰安婦の議論が始まり、韓国社会の反発が生まれたとすることはできない。

まず、韓国における慰安婦に関する言論は吉田証言によって始まったものではない。朝日新聞の報道が韓国の報道に伝えられることは多いが、「中央公論」11月号で木村幹が指摘するとおり、韓国の言説が日本のそれと独立して展開した面が強いからだ。朝日新聞の誤報のために、韓国で慰安婦が議論されるようになったわけではない。

慰安婦に関して韓国から行われている言説のなかには、事実に反し、あるいは事実を混同したものがある。木村幹の指摘する戦時下における女子挺身隊と慰安婦の混同はそのひとつである。慰安婦の人数を20万とする議論の根拠にも疑問が持たれる。

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それでも従軍慰安婦が極度に悲惨な経験を強いられたことは否定できない。仮に強制がなかったという強い前提を置いたとしても、甘言に騙され、あるいは親に売られ、戦場のなかで次々に兵士に身を任せる女性の立場に身を置いて考えてみれば、平時における一般の売春と慰安婦を並べることの誤りは明らかだろう。

その慰安婦を求める日本軍の兵士も極限状況に置かれていた。第2次世界大戦はどこにでもある戦争のひとつなどという形容を許さない戦乱だった。

中国・東南アジアから太平洋まで戦線を拡大した日本軍は、戦争末期になると数多くの兵士が飢餓に追い込まれる状況に直面した。沖縄などに駐留する米軍はもちろんのこと、ベトナム戦争における米軍、それでいえば第2次世界大戦における米軍、さらに第1次世界大戦におけるドイツ軍も、これほど苛酷な戦場を経験することは稀であった。すべての戦場で飢餓寸前の状況が生まれたわけではないが、日本軍の兵士が、そして慰安婦が、数多くの戦争のなかでも例外的な極限状況に置かれたことは間違いない。

戦争には加害者と犠牲者があるとしても、それだけで戦争を捉えることには間違いがある。自分の意に反して戦場に送られた者が戦争で暴力を行使するとき、加害者は犠牲者でもあるからだ。

だが、戦争の記憶はその国民の強いられた犠牲に焦点を当てることが多い。

日本で広く共有される戦争の記憶が、広島・長崎の被爆を中心とした兵士ではない日本国民の悲劇を中心としてつくられたとすれば、中国では日本軍の行動による犠牲が、また韓国では慰安婦が犠牲のシンボルとして語られた。広く語られる犠牲の背後には語ることの難しい微妙な経験が潜んでいた。

日本の場合、意に反して戦場に送られた場合でも、日本軍の兵士を非戦闘員の日本国民と同じように犠牲者として語ることは難しかった。朝鮮半島についていえば、時には意に反し、時には自発的に、日本軍に協力する人々がいたことは否定できない。広島・長崎を中心とする日本の戦争の記憶では日本軍による侵略が背後に隠され、韓国における戦争の記憶では挺身隊と慰安婦を同視するような視点を通じて、対日協力というもうひとつの現実が押し隠されていた。

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このように、国民の視点だけから戦争を見る限り、語られる犠牲と語られない犠牲が生まれてしまう。ここで必要なのは、自分たちの犠牲ばかりを語って相手の犠牲を無視するのではなく、自国の国民ではない人々の経験に開かれた戦争の認識である。慰安婦を犠牲者として捉えつつ、戦争の加害者である日本兵士も犠牲者としての側面を持つことを見ることができれば、戦争の記憶をナショナリズムの束縛から解き放つことも可能となるだろう。

慰安婦に関する現在の議論は、謝罪と補償の必要をめぐって展開している。だが、学者の議論という批判を恐れずにいえば、謝罪や補償の前に必要なのは、事実を見ることだ。それも相手の誤りを暴くことで自分を正当化するのではなく、双方の国民を横断して戦争を捉えなければならない。そして、日中戦争と第2次世界大戦における戦場の実態に少しでも目を向けるなら、決して引き起こしてはならない破滅的な暴力の姿が目に入るはずだ。

慰安婦をめぐって展開される議論には、日本の名誉回復を求める熱情があっても、戦場の現実を知ろうとする姿勢は見ることはできない。それを私は恐れる。

この文章は朝日新聞夕刊の『時事小言』に 2014年10月21日に掲載されたものです。