EUの夢と幻滅 − 好景気の徒花なのか
2016/3/22
欧州連合(EU)の発足を定めたマーストリヒト条約が調印された1992年からおよそ四半世紀、ヨーロッパの統合が大きな壁に面している。
まず、経済統合が壁にぶつかった。他の地域機構と異なり、EUは貿易の自由化ばかりでなく共通通貨ユーロまで導入したが、その結果として、各国政府は通貨供給量を単独では調整することができなくなった。もし加盟国のひとつで経済危機が発生すれば、地域経済に波及する懸念がある。この、ポール・クルーグマンが早くから指摘してきた共通通貨に伴う潜在的危険が、昨年のギリシャ経済危機によって一気に表面化してしまった。
人の移動の自由化もヨーロッパ統合の柱であるが、難民問題を契機に政策を続けることが難しくなっている。シリアなどから流入する難民に対する各国の政策には著しい違いがあるからだ。スロバキアやハンガリーなどの諸国は難民の入国規制に踏み切った。ドイツのメルケル首相はEUがシリア難民の受け入れを認めるよう、率先してドイツの難民受け入れを表明したが、国内から厳しい反発を受け、政権を揺るがす事態となった。
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危機に直面したEUの選択は、難民受け入れの後退だった。3月8日、トルコ政府とEUは、30億ユーロにのぼる資金協力と引き換えにトルコ国外への難民流出を制限することに合意した。紛争によって住む土地を追われた人々がEUに入ってこないようにするため、巨額のお金をトルコ政府に支払ったと評されても仕方のない内容だ。
どうしてこんなことになったのだろう。本来のヨーロッパ統合はヨーロッパが再び戦争に陥ることがないようにしようという不戦共同体の模索と不可分の関係にあった。石炭鉄鋼共同体の設立から統合が始まったのもそのためである。だが、現在の欧州統合は、不戦共同体ではなく、2回の石油危機を経て傷ついたヨーロッパ経済を再建することが直接の引き金であった。市場統合を進めることによって地域経済の競争力の回復を図るのである。
当初は西欧諸国が市場統合の対象であったが、マーストリヒト条約締結に至る過程が冷戦の終結期と重なったことから、焦点は西欧ではなく、東欧諸国など新興経済圏の統合に移っていった。旧共産圏諸国をEUに迎え入れ、新興経済圏への投資拡大によって欧州主要国の経済を支えるという構図がこうして生まれる。好況が続く限り、経済統合は合理的な政策だった。
だが、景気が悪くなれば、新興経済圏は経済発展の足がかりではなく、逆に経済発展を阻害するリスクになってしまう。競争力の低い経済が政府だけでは危機に対処できないとき、EUによる資金供給に頼るほかに選択はない。そして、たとえばギリシャに大規模な経済支援を行ったところで、ギリシャが経済再建を実現する展望は暗い。
人の移動の自由化にも経済的背景があった。ドイツを典型とする低い出生率と恒常的な労働力不足に悩む西欧諸国の経済にとって、国外からの労働力受け入れは、特に景気が拡大する時期には魅力的な選択であった。
しかし、景気が後退に向かった場合、移民が低所得層として国内のアンダークラスを構成し、治安を脅かすことになりかねない。まして中東などの紛争地域から流入した難民や移民のなかには、過激な武装組織に共鳴する人が含まれている可能性もある。ここでも、地域統合の推進が、経済発展の足がかりではなく、経済的、さらに政治的リスクに変わってしまうのである。
既にイギリスではEU離脱が議論されている。市場統合と人の移動に対する疑問が大陸諸国でも強まっているのだから、もともとEU統合への懐疑的な意見が根強いイギリスでEU離脱が論じられることに不思議はない。仮にEUから離脱しなくても、イギリスと大陸諸国との政策協力が弱まることは避けられない。
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ヨーロッパの統合には、政治における民主主義と経済における資本主義を共有する西欧諸国の主導により、東欧を含む地域全体の自由と繁栄を実現するという夢があった。この夢は、市場の自由化と民主主義の拡大が繁栄と平和を約束するという、国際政治における経済的リベラリズムと政治的リベラリズムに支えられていた。
だが、経済が後退するときに地域の統合を支えることは難しい。景気後退に対して実効的に対処する力を持ち、またその期待を寄せられるのは各国の政府であってEUではない。労働力の確保より治安維持が優先事項となれば移民の流入に反対する世論が生まれることも避けられない。移民排除を求める右派政党の拡大はその表れである。ヨーロッパの統合は好景気の徒花に過ぎなかったのか、EUの求心力が問われている。
この文章は朝日新聞夕刊の『時事小言』に 2016年3月15日に掲載されたものです。