現代の国際関係 − 抑止戦略の限界に直面

東京大学政策ビジョン研究センター副センター長/法学政治学研究科教授
藤原 帰一

2016/4/22

Photo: Izawa Hiroyuki

軍事力によって相手の行動を事前に抑えこむ。これが抑止戦略と呼ばれる、現代の国際関係において世界各国の多くが採用する軍事戦略である。だが、この抑止戦略が機能することの難しい状況が世界に広がっている。

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まず基本を押さえておこう。国際関係において各国が軍事力によって達成を求める目標の第一が国家の防衛である。そして、その国家の防衛は、通常は抑止戦略によって実現することが期待されている。侵略された場合には大規模な反撃を加える準備を整え、さらに反撃する意思を相手に対して明確に示すことによって、相手による侵略を未然に防止するのである。

抑止戦略が武力の放棄を求める平和主義と異なることはいうまでもないだろう。抑止力が相手の行動を抑えるだけの実効性を持つためには、相手に対抗することが可能なほど大規模な兵力を持たなければならないからだ。

抑止は侵略によって領土の拡大を求めるような攻撃的政策ではないが、だからといって抑止によって紛争を避けることができるとも限らない。どの国も防衛を目的とし、侵略する意思は乏しいと考えられる場合においても、相手の軍事行動に備えるためには軍備の拡大が必要となり、その結果として軍拡競争と、それを原因とした国際的緊張が広がる可能性が高いからである。これが安全保障のジレンマと呼ばれる状況であり、冷戦のもとの米ソ関係を支配し続けることになった。

また、抑止に頼ることなく平和を支えることが可能であれば、そのほうが抑止に頼る平和よりも望ましいことは疑いない。イギリス、フランス、ドイツなど西欧主要国の間においては、すでに軍事的威嚇によって相手の行動を抑える必要はなくなった。国際関係の安定が十分に期待できるのなら、抑止ではなく、相互信頼に基づいて平和を実現することができるだろう。

このように抑止戦略にはさまざまな限界はあるが、それでも国際関係における各国の政策としていまなお支配的な役割を果たしていることは否定できない。諸外国を全面的に信頼することはできず、軍事力による攻撃が加えられる可能性が残る限り、抑止の必要性も残されるからである。憲法9条によって戦力を放棄したはずの日本が自衛隊を保持し、アメリカと同盟を結んできたのも、諸外国によって攻撃が加えられる懸念を取り除くことができないからであった。

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さて、私の目的は、安保条約や新安保法制の擁護ではない。問題は、軍隊を持ち、同盟を結び、アメリカの核抑止力に頼ったところで、それだけでは打開することのできない状況が現代世界に発生していることである。

第一に挙げられるのが、今年2月末の停戦合意が危機に瀕しているシリア情勢である。アサド政権、「イスラム国」(IS)と称する過激組織、さらに他の武装勢力もその存続を懸けて戦っているだけに、諸外国が軍事的に威嚇したところでそれらの勢力の行動を変えることは期待できない。シリアばかりでなく、自爆を覚悟したテロリストや過激勢力は軍事力で抑止することができない。ここでの選択は軍事介入を行うか否かであって抑止ではない。しかも軍事介入を行ったところで、地域の安定を実現することはごく難しいのである。

第二が、南シナ海や尖閣諸島などにおける中国人民解放軍の展開である。米中が戦争に突入すれば両国とも甚大な被害を受けるだけに、米中両国による本土爆撃のような事態は抑止できるだろう。だが、人工島や滑走路建設を阻むために大規模な軍事介入を行う意味は少ない。アメリカは海域に駆逐艦を派遣したが、中国政府の行動を変えることはできなかった。抑止では相手を牽制(けんせい)できず、しかも軍事介入に訴えるリスクは極度に高いのである。

第三に、北朝鮮問題も抑止の限界を示している。核実験もミサイル実験もこれまでに北朝鮮が行ってきたものであるが、今年1月の核実験やその後のミサイル発射は、元国防副委員長張成沢(チャンソンテク)や人民武力相の玄永哲(ヒョンヨンチョル)が粛清された後に進められた。もはやアメリカを交渉のテーブルに引き出す算段として説明することはできない。北朝鮮政府の攻撃的な政策を抑止する試みは失敗に終わったというほかはない。

これまでは抑止戦略に対して平和主義の立場から道義的批判が加えられてきた。だが、いま問われているのは抑止の正当性ではなく、その限界である。抑止に頼っても紛争を解決できないとすれば、武力紛争の拡大を放置するか、あるいは大きな犠牲を顧みず軍事介入に訴えるほかはない。抑止戦略に頼っても軍事介入に頼っても平和と安定を期待することができない、そのような世界に私たちは生きている。

この文章は朝日新聞夕刊の『時事小言』に 2016年4月20日に掲載されたものです。