テロと移民排斥 − 多元主義崩壊の危機

東京大学政策ビジョン研究センター副センター長/法学政治学研究科教授
藤原 帰一

2016/6/27

Photo: Izawa Hiroyuki

米フロリダ州オーランドで大規模な銃乱射事件が発生した。容疑者のオマル・マティーンはアフガニスタン系のアメリカ人であり、過激派組織「イスラム国」(IS)を支持してきたと伝えられている。IS系のメディアはこの事件をIS戦士によるものと報道し、事実上の犯行声明を行ったが、実際にISが犯行を指示したかどうかについてはまだわからない状態である。

この事件をどう考えれば良いのだろうか。まず、急進的なイスラム教の解釈に基づく過激派が現代世界におけるテロの最大の担い手となっていることが改めて示された。いうまでもなく過激勢力と一般のイスラム教徒は区別しなければならないし、両者を一体のものと考えることは、それ自体がイスラム教徒に対する迫害を助長する危険がある。とはいえ、IS支持に傾いた過激勢力がシリアやリビアばかりでなくフランスやアメリカなど主要先進国の住民の安全を脅かしていることは無視できない。「イスラム過激派」は、決して架空の存在ではない。

第二にテロ活動の主体が、新たに国外から入国した移民や難民ではなく、アメリカで生まれたマイノリティーであることに注意しなければならない。本件の容疑者オマル・マティーンは、親がアフガン出身とはいえアメリカで生まれており、新たにアメリカに来た移民ではない。昨年12月に発生したカリフォルニア州サンバーナディーノにおける銃乱射事件でも、2人の容疑者のうち1人はパキスタン系のアメリカ人だった。ホームグロウン・テロリズムなどと呼ばれるこのようなアメリカ国民によるテロは、移民の入国を規制したところで防止することができない。

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この二つの要因、すなわちイスラム過激派の拡大と、新規移民ではない移民の過激化が結びつくとき、国外からの移民制限ばかりでなく、国内における移民の排斥を求める声が生まれてしまう。テロに対する恐怖が国内における差別を正当化するのである。

共和党大統領候補の地位をほぼ確実としたドナルド・トランプ氏は、銃乱射事件が発生した直後、イスラム過激派のテロに対して私が正しい立場を取ってきたと皆さんが祝福してくれた、感謝したいと、ソーシャル・メディアを通じて発言した。続いてトランプ氏は、イスラム教徒の一時入国禁止を求める自分の立場を改めて正当化するとともに、「イスラム過激派」という言葉を使おうとしないオバマ大統領は退陣すべきだとも述べた。ここではイスラム過激派への対決とイスラム教徒への入国規制が結びつけて議論されている。

アメリカばかりではない。イギリスでは6月23日にEU離脱の是非を問う国民投票が計画されているが、EU離脱を求める声の根拠となってきたのが移民規制だった。昨年パリで大規模なテロ事件を経験したフランスでも、移民の規制を求めるマリーヌ・ルペン氏の率いる右派政党が既成政党を脅かす存在となっている。反移民政党はハンガリー、ポーランド、さらにデンマークでも力を伸ばしている。欧米諸国の政治は移民排斥に向かって大きく動いていると言ってよい。

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これまでの欧米世界では、人種、宗教や性別によって差別をしない多元的政治秩序が実現したと考えられており、それが他の地域に対する制度的・倫理的優位を示すものと考えられてきた。だが、政治的に急進化したマイノリティーが多数派の安全を脅かすようになれば、多元主義を支えることは難しくなってしまう。過激テロに立ち向かうという目的によって、少数者に対する差別や迫害が正当化されている。

移民国家であるアメリカでは白人ではない移民の人口比率が30%を超えているだけに、マイノリティーを排斥するような政治は実現しないと考えられてきた。今回の大統領選挙でラテン系やイスラム系などの移民をあからさまに排除する発言を重ねてきたトランプ氏が当選しないと予測されてきた根拠はそこにある。だが、テロが発生すればその根拠は崩れてしまう。サンバーナディーノのテロはトランプ氏への支持を押し上げた。今回のテロ事件がトランプ氏がアメリカ大統領となる可能性を高めたことは否定できない。

移民を排除すればテロが根絶できる保証はない。イギリスがEUを離脱したところでイギリス国内におけるマイノリティーの過激化は阻止できない。トランプ氏のようなイスラム教徒の排斥はかえってマイノリティーの過激化を拡大することになるだろう。

だが、イスラム過激派によるテロが現実の可能性である限り、欧米諸国における移民排除の拡大は避けられない。テロへの恐怖は移民排斥と、それを通したデモクラシーの崩壊を促そうとしている。

この文章は朝日新聞夕刊の『時事小言』に 2016年6月15日に掲載されたものです。