トランプ氏を信じるのは誰か − 偏見を正当化した連帯

東京大学政策ビジョン研究センターセンター長/法学政治学研究科教授
藤原 帰一

2017/5/26

Photo: K.yamashita

トランプ大統領の特技は、事実に反する発言をすることだ。地球温暖化はアメリカの製造業の競争力を弱めるために中国のつくった観念だとか、同時多発テロ事件で世界貿易センタービルが崩れ落ちたとき、ハドソン川対岸で何千もの人々が歓声を上げたとか、あるいは大統領選挙でクリントン候補の票数が多いのは三百万を超える不法移民がクリントン候補に投票したからだとか、どれも空想としか形容のしようがない。

発言が誤りだと指摘されても撤回せず、誤りを指摘するニューヨーク・タイムズやCNNなどの報道がフェイクニュース、いんちきニュースだと言い放つ。メディアによる情報操作の犠牲というわけだ。確かに、全体としてみればアメリカのマスメディアがトランプ氏の批判に傾いてきたことは事実だろう。ハーバード大学のグループによれば、大統領就任後百日間、トランプ氏に批判的な報道が80%にのぼったという(https://shorensteincenter.org/news-coverage-donald-trumps-first-100-days/ 別ウインドウで開きます)。

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では、誰がトランプ氏を信じるのだろう。まず、有権者の考え方や好みによって、選ぶメディアが異なることに注意しなければならない。ピュー研究所の調査によれば、大統領選挙の情報源としてフォックス・ニュースを挙げた人は全体では19%だが、トランプ支持者では40%に上る。クリントン支持者の場合はCNNが18%、フォックスは3%に過ぎない(http://www.journalism.org/2017/01/18/trump-clinton-voters-divided-in-their-main-source-for-election-news/)。トランプ氏の支持者は、テレビで見るチャンネルが違うわけだ。だが先のハーバードの調査は、フォックス・ニュースにおいてもトランプ氏に肯定的な報道は全体の48%に過ぎなかったことを示している。テレビ局の選択だけではトランプ支持を説明できないのである。

やはりトランプ現象は、ソーシャルメディアを抜きにしては説明できないだろう。まず、情報の取捨選択が容易である。新聞から読みたいニュースだけを集めるのには手間がかかるが、自分の好みにあった「情報」だけを受け取り、好みに合わない情報を顧みないのはソーシャルメディアではむしろ一般的なあり方だ。そして、既成のマスメディアと異なり、ソーシャルメディアでは情報の信憑性を検証する制度ができていない。フェイスブック、ツイッター、そしてウェブ上に新たに設けられたニュースサイトなどにおいては、客観的な報道と根拠のない噂話が同列に並んでしまう。本当かどうかは分からないけれど、好きなニュースでいっぱいというメディアの空間である。

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ここに現れている現象は、自分の好みにあった「情報」だけで囲まれた環境、いわばマイメディアとも呼ぶべき新たな情報空間の誕生である。かつては少数の供給元によって寡占状態となってきたメディア空間がいくつもの小さな情報空間に分解し、それぞれの小空間に参加する人々は、自分たちの立場、好み、あるいは偏見に合致する情報だけを共有することになる。インターネットでは出版やテレビ放送などのような費用がかからないため、大量の人々がその情報を共有することができる。

根拠のない発言を繰り返し、その虚偽をマスメディアに指摘されながらなおトランプ氏が相当数の国民から支持を保ってきた背景には、このような、マスメディアと異なる情報空間と、真偽不明の情報を共有することによって支えられる社会連帯があった。どれほど荒唐無稽なつくりごとであっても、それを信用し共有する人々がいる限り、マスメディアがその虚偽を暴いたところで状況は変わらない。

既にトランプ氏の化けの皮は剥がされようとしている。選挙戦のさなかから指摘されてきたロシア政府との接触はFBIの捜査を受ける段階にまで達し、その捜査を妨げる目的から政治圧力を加えたこともマスメディアによって次々に暴露されている。それでも、トランプ氏への支持が衰えるとは限らない。マスメディアではない情報空間のなかに住み続けているからだ。

トランプ大統領を支えるのは、自分で自分を騙す有権者である。何が客観的な事実なのかをつかまえることは常に難しい。新聞やテレビが価値観や先入観によって情報を取捨選択し、歪めて伝えることもあるだろう。しかし、ここに見られるのは自分の好みに合致する情報だけを選び、好みに反する情報を排除する空間、敢えて言えば偏見の正当化と客観性の放棄に他ならない。事実から離れた政治、ポスト・トゥルースの政治の恐ろしさはここにある。

この文章は朝日新聞夕刊の『時事小言』に 2017年5月24日に掲載されたものです。