首相退陣と民主主義 − 緊急の課題を見誤るな
2011/6/28
菅直人首相退陣を求める声が多い。自民・公明両党ばかりでなく、経団連や連合の会長、さらに与党議員や現職閣僚までもが総理の辞任に言及している。首相は拒んでいるが、辞任を前提とした政局が展開している今、残された選択肢は少ない。
だが私は、首相退陣を優先する政治が日本政治の混乱をつくってきたと考える。これは菅首相を評価するからではない。選挙直前に超党派による財政改革を提唱するという不思議な行動を始め、失策の多い政権であることに疑問の余地はない。それでも私は、選挙によることなく首相が退陣を繰り返す政治が望ましいとは考えない。
選挙によらない退陣といえば異論もあるだろう。昨年の参議院選挙、今年の統一地方選挙によって、民意は示されたではないか。確かに、参院選の結果を受けて退陣する首相は数多い。安倍晋三首相や橋本龍太郎首相、古くは宇野宗佑首相の退陣する引き金となったのが参院選だった。参院選の責任を取るのが本来の総理のあり方だとすれば、参院選で負けた菅首相が居座ったことこそが間違いだということになる。
だが、政権を変えるのは衆議院総選挙であって、参院選や地方選の敗北は首相退陣の理由にはならない。参院選の結果が首相退陣を招いてきたのは、選挙によって与党が参院の多数を失い、「ねじれ国会」が生まれたためである。宇野、橋本、安倍首相の下で戦われた参院選で、自民党もしくは連立与党は議席の過半数を割ってしまった。参院選敗北の責任とは、ねじれ国会を招いた責任であった。
参議院で多数を占める野党は、時には与党内部の不満も利用しながら、予算と関連法案を人質にして政権を揺さぶることができる。ねじれ国会を前にした海部政権、小渕政権、福田政権は、いずれも国会対策で混乱を続け、与党内部の圧力もあって海部首相と福田首相は退陣に追い込まれた。指導力の欠如だけで日本の首相が短期間で交代してきた理由を説明することはできない。
現在の政局には過去と異なる特徴もある。自民党政権のもとでは首相が代わっても政権政党が代わることはなく、首相退陣と総裁派閥の交代が疑似的な政権交代という特徴も持っていた。民主党の場合、政党の凝集力が極度に弱いため、新たな連立が政党再編につながる可能性がある。
ここに注目して、菅首相の退陣によって大連立と、これまでにない政治の安定を期待する声もある。さて、そうなるだろうか。
まず、与野党の大連立は有権者による選択の機会を奪う危険がある。民主・自民ともに内政でも外交でも異なる政策を掲げる勢力を内部に抱えているが、大連立はそれをさらに加速し、政策によって政党を選ぶ意味が失われるからだ。選挙は別だといえばそれまでだが、選挙までは大連立を組み、選挙になると政策を争う政党にはどんな意味があるのだろう。
そもそも、小選挙区制のもとで大連立を実現することは難しい。与野党ともに次の選挙を目指す前職議員を選挙区に抱えるため、大連立は政党内部に軋轢(あつれき)をもたらすからだ。政党の凝集力が強ければその対立を乗り切ることもできるが、民主・自民両党とも、その力を持っているとは考えられない。民主・自民だけで衆参両院の多数を占めることができることから、社民党や公明党など、これまでの連立のパートナーが敵に回る可能性もある。
結局、大連立なしに菅首相は退陣し、新政権を迎えるのだろう。最低限の与野党合意はできるだろうが、それによって生まれた新政権も短期間のうちに「ねじれ国会」の運営で行き詰まり、新首相の辞任が日本のためだという主張が再び新聞やテレビをにぎわせる。悲観的には違いないが、可能性の高いシナリオだと私は思う。
東日本大震災と原発事故が未曽有の危機であることは間違いがない。国家的な危機を前にして与野党が国会で詰(なじ)りあうのでは仕方がないのもその通りだ。だがそこで必要となるのは首相を引きずり降ろすことでも大連立でもない。必要なのは、政党の別を越え、緊急に対処すべき課題に対しては超党派で立ち臨むことである。復興財源やエネルギー政策については超党派の合意を得ることは難しいが、その困難のために、緊急課題である震災復興計画の決定や操業中の原発の安全確認が遅れることがあってはならない。
超党派で緊急の課題に取り組むべきときに首相退陣を求め、大連立の名の下で権力闘争と合従連衡を模索する。何をやってるんだ。そう思わずにはいられない。
この文章は朝日新聞夕刊の『時事小言』に 2011年6月21日に掲載されたものです。