TPP議論 − 国内ばかりを語るのは
2012/1/5
TPP(環太平洋経済連携協定)を巡る議論は、協定の締結によって日本経済の被る影響に集中している。打撃を受けるのか活路を開くのかについて判断は分かれているが、日本の政策転換を争点とする点に違いはない。そこに見られるのは、外圧に対して日本経済をどう守るのかという課題設定である。
TPPに疑問の声が上がることは理解できる。その締結を急いだ背景には、昨年のAPEC(アジア太平洋経済協力会議)総会の日本開催にあたり、日本の「おみやげ」が必要だという事情があった。自由貿易には勝者の論理という側面がある以上、国際競争力の乏しい部門、殊に日本の農業から反発が起こるのも当然だろう。TPP締結が経済効果を伴うのか、市場が現実に拡大するのかも保証の限りではない。
だが、既に貿易自由化のかなり進んだ日本において、なぜ受け身の姿勢でTPPが論じられるのか、私にはわからない。部門によっては打撃が大きいとしても、経済全体としてみれば日本は自由貿易によって利益を受ける側に属している。ここでの課題は、日本の市場開放ではなく、他国の市場開放である。どのような貿易秩序が日本に有利なのか。他国の経済政策をどのように変えることが日本にとって望ましいのか。TPPはその目的達成のために果たして役に立つのか。だが、そのような議論はほとんど見かけない。
貿易体制を設計するときに問題となるのは「深さ」と「広さ」の選択である。広さを求めれば浅くなる。その体制に加わる国の数が多ければ多いほど広い市場圏をつくることが可能となるが、各国による制度の違いを受け入れるため、市場統合の程度は限られたものになるからだ。逆に、深さを求めれば狭くなってしまう。統合の制度化を求めれば、参加できる国の数を限定せざるを得ないのである。これが、深さと広さのパラドックスである。
アジア太平洋地域における過去の貿易体制は、各国政府の政策を強く縛る「深い」市場統合を避けてきたといってよい。アジア地域が急成長を続ける市場だけに、制度を強化しなくても市場拡大が予測できるという事情もあるだろう。設立時のAPECは、ワシントン主導による貿易体制と異なって緩やかな政府間合意による貿易自由化を図る機構であり、だからこそアメリカ政府も当初は消極的であった。ASEAN(東南アジア諸国連合)プラス3(日中韓)や東アジアサミットはさらに各国政府への拘束力が弱く、政府間の交渉の場ではあっても自立した国際機構ではなかった。
広く浅い貿易体制にも意味はある。自由貿易に対する諸国の対応は総論賛成各論反対が一般であり、拘束力の強い合意に対して各国国内に抵抗が予測されるだけに、裁量の余地を残した合意をつくる方が現実的だからだ。だが同時に、制度を伴わない政策合意だけでは各国による違いが残され、効用も乏しい。すでに「広い」貿易体制はほぼ実現しているだけに、現在の課題は「深さ」の模索にかかっている。
最大の課題は中国市場である。世界第二の経済にまで育ちながら先進工業国との間には大きな制度の隔たりが残され、モノやサービスの市場開放も日本と比べものにならないほど進んでいない。すでにいくつかの貿易協定を結んでいる中国ではあるが、国内法制の改訂を求める協定は少ない。
TPPは中国を外した市場をつくろうとしているという解釈が多いが、正確ではない。中国の現況ではTPPを締結することは難しいが、国内法制を改訂して締結を求めた場合、中国のみならずアメリカにも日本にも大きな利益をもたらすだろう。TPPは中国の排除ではなく、より「深い」統合へと中国を誘うインセンティブとして捉えるべきだろう。仮に中国がTPPではなくASEANプラスや6の強化に向かったとしても、中国の法制度が変わるのであればやはり望ましい結果と評することができる。
世界経済における日本は、自国の市場開放を恐れるよりも、他国の市場開放を求めることが課題となる国家となっている。ではどうしてそのような解釈が見られないのか。なぜ市場開放の被害者、犠牲者として日本を捉える視点ばかりが広く見られるのか。
バブル崩壊から続く景気後退の影響ではないか、と私は思う。不況下の経済では、新たな収益の拡大よりも現在の収益確保に目が向かいやすい。国際経済との関わりでも、他の市場への拡大よりは国内経済の安定が優先されてしまう。
長い不況は日本を内向きの社会に変えてしまった。それをどう反転するのか、内向の時代をどうすれば克服できるのか。TPPの是非よりも重要な課題がここにある。
この文章は朝日新聞夕刊の『時事小言』に 2011年12月20日に掲載されたものです。