ムバラク後のエジプト − 民主化の実現 第二幕次第

法学政治学研究科教授
藤原 帰一

2012/4/18

AFP=時事

国際交流基金の企画でカイロに行ってきた。正味3日あまりだから大口はたたけないが、ムバラク政権崩壊から1年を経たエジプトの現状に触れる機会になった。

もっと正直に言った方がいいだろう。以前から民主化に関心があった。1986年のフィリピンにおけるマルコス政権崩壊以後、アジアでは韓国(87年)、タイ(92年)、インドネシア(98年)、またアジアの外に広げるならラテンアメリカ諸国の軍政崩壊や旧ソ連・東欧地域における共産主義体制の崩壊など、時には膨大な群衆の参加を伴いながら独裁体制が倒される過程について調べてきたので、エジプトに行く機会を与えられたことが実にうれしかった。今回のエジプト政変はそれまでに起こった民主化の事例とどこが重なりどこが違うのか、少しでも知りたかった。

フランス革命、ロシア革命、中国革命など、過去の大革命の多くは、それまでの専制支配を倒しながら、それを上回るほどの独裁体制を実現することで終わった。だが民主化の場合、新たな専制支配を生み出した事例はごく少ない。逆に、とてつもない数の人々が集まって独裁者を追放し、旧体制を倒したにもかかわらず、民主化の後にできあがった制度には旧体制とかなりの連続性が認められることが少なくない。フィリピンにおいて革命の熱気が失望と無関心に置き換わるまで半年もかからなかった。ではムバラク追放から1年後のエジプトはどうか、まずそこに関心があった。

まだ移行期が続いているというほかはない。ムバラク大統領は退陣したが、タンタウィ国防相を議長とする軍最高評議会のもとで暫定政権が続いている。旧憲法は停止されたものの、憲法改正案も定まっていないのが現状である。

だが、民主化への失望や無関心が広がっているという印象はない。むしろ、まだ進まない民主化を進めようという熱気が1年後のいまも感じられた。

その民主化のターゲットは軍である。もともとムバラク退陣は、民衆の結集ばかりでなく、軍がムバラク大統領を見放すことで実現したという側面があった。その軍による権力保持が争点となることは避けられない。今回カイロに入る直前、サッカー場で起こった暴動をきっかけとして軍政に反対するデモが広がった。講演を行ったカイロ・アメリカン大学でも、サッカー場で死亡した学生の写真がキャンパスの至る所に掲げられていた。軍が政権に居座っている限り、民主化など実現していないというわけだ。

だが、民主化によって生まれた変化への危惧も感じられた。先だって行われた人民議会選挙では、ムスリム同胞団を基盤とする自由公正党が大勝し、厳格なサラフィー派諸政党を合わせると過半数の議席を占めた。今回会うことのできたジャーナリスト、判事、映画監督がみなイスラムの政治台頭と距離を置いていたこともあり、誰もが議会におけるイスラム勢力台頭への懸念を口にしていた。

さて、他国の事例と比較すれば、民主化過程における軍の位置が争点となることは珍しくない。フィリピンではアキノ政権の下でクーデター未遂事件が何度も発生し、そのたびに政権は弱体化した。スハルト大統領退陣後もハビビ政権の下で権力を保持したインドネシア国軍はさらにエジプトに近い事例であり、ここでも選挙後のイスラム諸政党と軍との緊張関係が発生している。そのようなアジア諸国における民主化の経験についてお話しすることが私の講演の目的だった(同行した福元健太郎さんは日本政治について体系的な紹介を行った)。

もちろん民主化研究は政治学でも過去20年以上重要なテーマとして議論されてきた。だがこれまでエジプトでお話しされた同業者はラテンアメリカや旧ソ連・東欧の事例を話すことが多かったらしく、東アジアや東南アジアにおける民主化について知識のある人は少なかった。

独裁者追放が民主化の第一幕であるとすれば、その後における憲法改正や議会選挙などの制度形成が第二幕に当たる。第一幕に比べて第二幕が報道される機会は少ないが、政治変動の実質を決めるのは第二幕の方だ。民主化が現実に意味のある政治の変化を伴うのか、独裁者追放という儀礼の後に伝統的な政治勢力が権力保持に成功するのか、それとも政治権力の空洞化がさらに進み、独裁者の下の暴力から破綻国家の下の暴力に国民が晒されることになってしまうのか、それらすべては制度構築という第二幕によって決まるからだ。エジプトがどの方向に向かうのか、熱い期待は希望的観測として裏切られてしまうのか、行方はまだ見えなかった。

この文章は朝日新聞夕刊の『時事小言』に 2012年2月21日に掲載されたものです。