政治の暴力化 − 混乱に向かうアラブの春
2012/10/31
民主主義は国民の意思を政治に反映する制度だ、というのが普通の理解だろう。消費税引き上げに関する民主・自民・公明3党の合意などを見るとそこもだいぶ怪しいのだが、ここでは民主主義の持つ別の意味について議論してみたい。それは、暴力に頼ることのない政治という意味である。
もちろん現代国家の特徴が暴力の独占にある以上、暴力と政治を切り離すことはできない。だが、その国家が暴力を行使する相手は何よりも諸外国の武力であって、侵略に対して武力で自衛することは認められるとしても、自国の国民に対する武力行使についてはその国民の定める法によって厳しく制限するのが現代民主主義の基本的な特徴である。
決して奇麗事ではない。国際政治は権力闘争の世界だと考えるリアリストでさえ、国内政治でも武力闘争が避けられない現実だとは主張しないだろう。政党や政治結社が政策を争い、さらに政治権力の争奪に明け暮れるのは当たり前だとしても、武力を用いた権力奪取は不正であり、現実にも排除される。国家に暴力を委ねるからこそ、その暴力を政争のために用いることは認めない。政治の非軍事化なしに民主主義は成り立たない。
だが、現代世界で政治の非軍事化がどこでも実現しているとはいえない。特に、独裁政権から民主政治に換わる過程においては、国内政治から暴力を排除することは極めて難しい。現在のシリア情勢は、その困難を思い知らせる展開である。
その始まりは、他の民主化と似たものだった。チュニジア、エジプトにおける政変を受け、2011年3月ごろから、アサド政権打倒を求める政治集会が高揚する。武器を持たない市民の集会が半年以上も続けられた。
だが、アサド政権による武力行使が拡大の一途をたどるなか、反政府運動は非暴力から武装抵抗へと転じ、国外から武装勢力が流入し、それがさらに軍事弾圧の激化を招いた。国連による和平調停も守られず、多くの子どもを含む一般国民の虐殺が繰り返されながら、国連部隊は撤退を強いられようとしている。
1986年のフィリピン・マルコス政権崩壊、翌年の韓国・全斗煥大統領退陣、さらに89年以後の旧ソ連東欧諸国における革命では、民主化過程における武力行使は小規模のものに留められた。逆に天安門事件に見られるような徹底弾圧で臨んだ中国では、民主化を排除した独裁の長期化が実現した。だがシリアでは、大規模な暴力行使が続けられる一方、アサド政権が政治的安定を回復する可能性はない。民主化も独裁回帰もともに実現しないまま、シリアは事実上の内戦に突入した。
そして、リビアと異なり、国際的な軍事介入が行われる可能性は低い。介入に反対する勢力の中心はロシア、中国、イランの3国であるが、欧米諸国も介入する意思は低い。シリア国内にも国外にも、内戦を阻止する条件は見られない。
シリアと異なるが、民主化過程の軍事化の直前に位置するのがムバラク政権を倒して1年余りになるエジプトである。全面的な武力行使という段階には至っていないが、旧政権を支えた公安警察、旧与党国民民主党、さらに暫定政権を構成する国軍がムスリム同胞団の政治進出を断固として阻止するという構図が固まってしまったからだ。
週末に行われた選挙では、軍出身でムバラク政権の下で首相も務めたシャフィークとムスリム同胞団のムルシが大統領の地位を争った。だがその投票が行われる前に、憲法裁判所が議会選挙は無効であるとの判断を下し、議会に解散を命じてしまった。国軍と裁判所が旧政権の側につくとともに、反政府勢力のなかでムスリム同胞団の占める比重はさらに高まっている。
トルコ、アルジェリア、あるいはインドネシアに見られるように、軍とイスラム勢力が対立する構図は珍しくない。だが、両者が民主政治の枠のなかで争うのではなく、そのルールをゆがめてでも相手を排除しようと試みるとき、政治の暴力化を阻止することは難しい。エジプトにおいて公安警察ばかりか国軍も政治弾圧の先頭に立ち、暴力を伴う反政府活動が拡大すれば、それはエジプト一国に留まらず中東地域の安定を覆すような事態を招くことになるだろう。
民主主義は政治の非軍事化によって支えられる。だが、民主化過程において旧体制が手段を選ばずに権力に固執すれば政治は逆に軍事化してしまう。独裁によって安定を取り戻すという方法も、モラルに反するばかりか、実現が難しい。中東における民主化の春は、内戦と破綻(はたん)国家を孕(はら)んだ混乱に向かっている。
この文章は朝日新聞夕刊の『時事小言』に 2012年6月19日に掲載されたものです。