参院選大勝 − 強権自民 期待より危惧
2013/8/5
予測しやすい選挙だった。自民党が勝つに決まっていたからだ。
2012年の総選挙で民主党が大敗を喫したとき、民主党への不信任は強かったとはいえ、自民党支持が強まったわけではなかった。だがそれから半年あまり、経済回復への期待と共に安倍政権は高い支持率を保ち、自民党も支持を拡大した。他方、民主党が低落を続けるなか、みんなの党、維新の会も民主党に代わるポジションを固めることができない。自民が優位を保ち、野党勢力がつぶし合うのだから、与党勝利が予測されるのは当然だろう。注目点は自民党が単独過半数を獲得するかどうかという一点だけだった。
勝因は、第一に経済復興、第二に政治の安定だろう。長期の経済停滞とねじれ国会のもとで毎年首相が代わる政治がやっと終わる、その期待があればこそ、与党の勝利も可能となった。原子力発電や憲法改正の是非などを掲げて当選した候補者もいるが、全国規模の政治で見れば原発や憲法が選挙の争点になったとはいえない。
結果が予測しやすいとはいえ、これが日本政治の変わり目を告げる選挙だったことも指摘すべきだろう。6年前の大敗を反転して勝利を収めた自民党のもとでねじれ国会が終わり、衆参両院で与党が多数を占めることによって、自民党優位のもとで長期政権が続く可能性が高いからだ。
何が変わるのか。まず、1年ごとに首相が交代するような事態が変わるだろう。首相の頻繁な交代を強いてきた理由は参議院で野党が多数を占めるというねじれ国会だったからである。
ねじれ国会と短期政権との間にはあからさまなほど明確なつながりがある。まず、参院選に敗北してねじれ国会が生まれたとき、不可能な国会運営を前に首相は辞任せざるを得ない。1998年参院選後の橋本首相、2007年選挙後の安倍首相、2010年選挙後の菅政権の混乱がその例である。そしてねじれ国会を前にした首相は国会で法案を通すことができず、その指導力の限界に批判が集中する。小渕首相は公明党との連立を実現することで辛うじてねじれを解消するが、安倍首相の後を継いだ福田首相はねじれ国会を前にして政治指導を発揮すべくもなかった。その結果、野党ばかりか与党内部にも不満が噴出し、首相が退陣するか負けを覚悟の総選挙を行うかしか手立てはなくなってしまう。麻生首相も野田首相も、勝つ可能性のほとんどない総選挙を強いられた。ねじれ国会が終わることによって、短期政権が繰り返される要因が取り除かれた。
さらに、衆議院の任期はまだ3年以上残っており、任期だけに注目する限り、次の参院選まで国政選挙が行われない。これだけでも与党に有利だが、衆参両院の選挙を同じ日に行うダブル選挙にすれば、与党が有利となる公算が大きい。1986年、中曽根首相の下で衆参同日選が実施され、自民党が大勝を収めた。もし今から3年後の2016年にダブル選挙が行われたなら、自民党の大勝によって2019年まで安定政権が生まれる可能性がある。今回の参議院選挙は、与党不信任を基本とする国政選挙とねじれ国会のために動揺を繰り返してきた時代が終わり、日本政治が相対的安定を迎える転機をつくりだした。
政治の安定は望ましい。だが安定の半面で失われたものがある。政権獲得を目指して政党が争う、政党の競争に基づく民主政治である。
1955年保守合同以後の50年近く、与党は事実上自民党に決まっており、野党は政権獲得ではなく、国会で3分の1の議席を確保して憲法改正阻止に努める存在となっていた。1993年に自民党が下野した理由も、野党への支持拡大ではなく竹下派の分裂に求められる。自民党は政権に復帰したものの小泉政権を例外として低迷し、2009年には民主党に政権を奪われる。
だが、民主党政権は混乱しか招かなかった。鳩山政権の下で内政も外交も空転を続け、菅首相は選挙前に増税を掲げるという破滅的な失敗によってねじれ国会を招き、後継の野田政権も弱体なまま推移した。
前回の総選挙に続いて今回の参議院選挙は民主党をさらに弱め、単独で政権を争う力を奪った。維新の会やみんなの党も、民主党に代わる政権政党の候補というよりは政権獲得へのシナリオが見えない小政党に留まっている。
政権獲得を政党が争う競争的民主主義は日本の政治から遠のいた。自民党が大勝すれば戦争になるとかファシズムになるなどという議論は誇張に過ぎない。だが、これほど大きな権力を委任された与党が権力行使を自制できるのか。国政選挙のないこれからの3年間に、期待よりも危惧を持たずにはいられない。
この文章は朝日新聞夕刊の『時事小言』に 2013年7月24日に掲載されたものです。