書評: 高齢者を市民で支え合うための法制度設計に向けて

東京大学大学院 法学政治学研究科 博士課程
独立行政法人日本学術振興会 特別研究員
村上 裕一

10/11/24

宮内康二『成年後見制度が支える老後の安心−超高齢社会のセーフティネット』
宮内康二 著 [小学館新書、2010年]
『成年後見制度が支える老後の安心−超高齢社会のセーフティネット』

地震で倒壊した自宅のリフォームをいざしようという段になって「なぜリフォームするのか」と言い出し、業者が来ても状況を理解できていない様子。若いときから株式投資をしていたが、最近になって悪徳業者とも取引するようになり、入れ替わり立ち替わり訪ねてくる業者に取引を持ちかけられ、配偶者の退職金や年金、満期保険金までつぎ込み、結果、6000万円を超える損害を被りながらも、被害の意識が皆無。これは本書冒頭で紹介されているある高齢者のエピソードだが、現代日本ではきっと、決して稀な事例ではあるまい。こうしたトラブルの防止に、果たして「成年後見制度」は役立つのであろうか。

本書は、「成年後見制度」導入以降10年間の運用実態も踏まえつつ、それがどのようなもので、どのようなときに必要になるのかについて、読者に「最初の意識と理解」を促そうとしている。具体的には、市民後見人による「保佐」活動、成年後見法人の立ち上げ等に関する当事者の記録、自治体の取り組み、立法担当者等へのインタビューを引用して読者に鮮烈なイメージを与えつつ、同制度を構成する「任意後見」と「法定後見」の仕組みを分かりやすく紹介している。成年後見人は、被後見人の意思を尊重し、かつ、その心身の状態・生活の状況に配慮しながら、生活、療養看護及び財産の管理に関する事務を行う(民法第858条)。これを筆者は「人間の可能性を社会的に引き出す装置」と呼び、市民1人ひとりがこれに関心を持って積極的に関わっていくべきと主張している。

まず、私が本書を読んで興味深かった点を、あえて3点に絞って述べたい。

第1に、筆者が「任意後見」を、「判断能力のあるうちに自分の将来に準備しておく成年後見の基本形」と捉えていることである。かつては、本人が意思能力を失ったとき、それ以前に本人がその意思に基づいて締結していた将来の財産管理等に関する代理権契約は終了するものとするのが実務における運用であり、また、その任意代理人と禁治産の旧制度に基づく法定代理人との関係も不明確であった。こうした問題に対処するために導入された「任意後見」1は 、「完璧に判断能力がある段階で将来を予測し、自分で依頼内容を決め、自分で後見人を決めておくもの」であり、「自分が前面に出て主体性が抜群にある 」2

第2に、成年後見人に親族以外の者が就くことについて、である。現状において、後見人の約70%は被後見人の親族だというが、後見人に就くのは、被後見人への介護サービスの質を客観的に評価するためにも、介護事業者と対等に相談・交渉でき場合によっては介護契約を解約できるくらいの判断力を持った、親族以外の人物であることが望ましい。筆者によれば、専門性を有し、また、時に感情的になってしまう親族関係から一定の距離を置いた「第三者」が後見人としてそこに介在すること自体が、さまざまな点で好都合であり適切である。身内の問題に他人が入ってくるという大きな抵抗感は依然として残るが、「契約」という方法は、「子に迷惑を掛けたくない」という老親の思いにも応えてくれる。

第3に、成年後見制度と信託との「合わせ技」について、である。本書では、息子(後見人)が母親(被後見人)の保険金を横領してしまった事件を取り上げ、こうした事件を防ぐために、後見人ではない「第三者」(受託者)が被後見人の財産を預かり、後見人とともに被後見人のためにそのお金の管理と支払いを行うようにするという発想が述べられている。被後見人の財産が受託者に移転するので、後見人が被後見人の財産を処分することはできず、また、信託した財産は受託者の資本とは別に管理されるので、受託者が破産しても信託財産は守られる。もっとも、信託制度に任意後見の代替的役割を与えてはどうか、信託において身上監護の要素を一切排斥する必要はないのではないかといった議論もあり、現にアメリカのいくつかの州では信託銀行等の金融機関がソーシャルワーカーと連携してクライアントの身上監護的ニーズに応えているというから、日本では、そうした中での成年後見制度固有の守備範囲を確認する必要がある。身上監護面での代行決定については、配慮義務を負った任意後見人が下すことが推奨されている3

次に、本書の内容に関して2点、コメントしたい。

第1に、本書によれば、2008年の1年間で申し立てられた案件数は2万6000件あまりであり、65歳以上の13人に1人、85歳以上の4人に1人が認知症という日本の現状を考えると、数の上でまだ少ない。こうして制度が使われていない理由として、筆者は、主として無知、費用、人材等の問題を挙げている。これらが重大な要因であることに全く異論はないが、これについては、さらなる分析とそれを制度設計へとつなげていく試みが必要である。

成年後見制度が、本来使われていいはずの局面で効力を発揮できないのはなぜか。実質的にはそれを代替しているものが別にあるからではないだろうか。本書では、家族というだけで代理するのは違法と指摘されているが、現実にどれほどそう認識されているかどうか疑問である。そうした問題の解決に、日本人は法律を持ち込むのか。家族による事実上の代行を一切禁じたときに、何が起こるのか。ある目的を実現する方法が複数あれば、人は使い勝手のより良い制度を選択し、そうでない制度は必然的に使われなくなる。だからこそ本書のように、あまり使われていない成年後見制度をPRし利用を促す活動が重要性を持ってくるのだが、同制度が使われないのは、それがなくても事足りてしまっているからではないか、そこには、法律による物事の解決、法の介入を必ずしも好まない日本人特有の「法意識」が影響しているのではないか、ゆえに、その制度自体の欠陥を補い充実させ4 PRしただけでは利用促進につながらないのではないか、とも思われる。もっとも筆者は、そういう社会自体を変えていくべきと主張しており、ルールや国家による押し付けにはあくまで否定的である。

第2に、本書では、成年後見制度に関連して、2009年度末で約150万人を数える「認知症サポーター」、ケアマネージャー、介護相談員、社会福祉協議会の生活支援員、保健師、薬剤師等の人材活用、及び、自治体の「成年後見制度利用支援事業」、地域密着の信用金庫、保険会社等の取り組みが紹介・提案されている。これらの人材や仕組みをどのように連携させて、超高齢社会対応の「システム」を作っていくのかという問題がある。もちろん、介護・医療から広く民法(家族・相続法、消費者法)等の問題をも内包するこのシステムを、最初から体系的に設計することなど不可能であり、今後、制度の「増改築」が繰り返されるのが現実だろう。しかし、個別の試みを(場合によっては省庁部局や国・地方、自治体の枠を超えて)体系的な高齢者・障害者保護の制度として整備すれば、制度利用の便宜にも資するし、制度を作ったがあまり使われないといった事態を防ぐこともできるのではないだろうか。

これに関連して、超高齢社会対応のシステムに誰をどのように動機付けて巻き込んでいくのか、という問題がある。本書では市民、そして、上記の専門職との連携が提案されている。さらに、成年後見人の監督等、家庭裁判所の業務の能力が限界に近づいていることから、法人による監督の法制化が提案されており、本書は、営利法人による後見等、それをビジネスとすることにも否定的ではないと思われる。法曹人口が増えつつある我が国においては、後見(監督)人を務めるのに適格な法律家が着実に増えていくことも期待できる(かといって、裕福な人だけに使える制度になることは望ましくない)。こうして、本書が世に提起する成年後見制度の諸課題は、日本人の法意識の転換も含め、超高齢・法化社会のグランド・デザインの問題へとつながっていく。

以上の点から、私の中では本書を、読者に「最初の意識と理解」を促すにとどまらず、市民活動としての成年後見が画餅に帰さないためにいかなる制度設計が必要なのかについて再考を迫る作品、とも位置づけている。一般に懸念される制度悪用に対するミクロな法的手当てもさることながら、真にそれが社会でうまく機能するためのマクロな制度設計が求められている。

そうはそうであるが、本書で衝撃的なのはやはり、誰もが直接・間接的に必ず経験する「老い」がもたらす問題の深刻さ、そしてその解決の困難さである。本書はそれに対して私たちが予めとっておくべき行動を分かりやすく啓発し、鋭く訴える作品である。ぜひとも実際手に取って一読し、これについて、身近な人と語り合うことをお勧めしたい。

  1. 内田貴『民法Ⅰ−総則・物権総論(第4版)』(東京大学出版会、2008年)150〜151頁。
  2. 「事後的とはいえ、十分に早いタイミングにおける現実的」対応である「補助」は、自己決定権尊重、残存能力活用の面で優れている、と評されている。
  3. 新井誠「任意後見法と信託」『ジュリスト(No.1164)』(1999年10月)86〜92頁。成年後見人等の権限はあくまで契約等の法律行為に関するものに限られ、実際の介護のような事実行為を含まない(内田・前掲注(1)書119頁)が、本書は、民法第858条により、後見人が被後見人の「生活」をも支えるべきと主張している。
  4. 同制度をより使いやすいものにするために近年行われた改正のポイントとして、成年後見人に複数人や法人が就くのを認めたこと、一定の処分行為について、家庭裁判所の監督を強めたこと、成年被後見人のプライバシーに配慮し、戸籍とは別の登記制度を新設したこと等がある(内田・前掲注(1)書109〜110頁)。