高齢化社会を見据えた医療制度のイノベーション
APEC生命科学分野フォーラムでの提言要旨

森田 朗 教授

2010/9/19

この提言は、2009 年9 月19 日に、APEC の産業別対話の1 つとして仙台で開催された、生命科学分野フォーラムで森田朗教授・政策ビジョン研究センター学術顧問が講演した報告内容をとりまとめたものである。提言作成には佐藤智晶特任助教、荒見玲子特任研究員(当時)が協力した。この報告は、高齢化社会、医療IT の高度利活用、医療分野におけるイノベーションの促進、とりわけ革新的な医療機器の開発の支援等、当センターで進めている研究成果の一部を先取りして世界に発信する試みとなった。

本ペーパーは、将来急速な高齢化社会を迎えるアジア太平洋経済協力メンバー(以下、「APECメンバー」とする)のために、医療制度が抱えている問題と改革の方向性について高齢化社会の進展という視点から分析し、示すものである。APECメンバーは、医療技術に関する研究開発の振興、質の高い医療の提供、そして増大する医療費のような各種解決すべき課題を共有している。そして、高齢化社会に向けて解決策を見いだすことは、APECメンバーにとって極めて難しく、かつ不可避の責務である。

わが国では1961年に国民皆保険制度を確立し、そのおかげで国民は、優れた医療を享受し続けてきた。しかしながら、医療技術の発展や人口の高齢化による医療費の急速な増大のせいで、わが国の医療制度は危機に瀕している。そこでわれわれは、市場の原理の部分的導入や規制改革、持続可能性のある健康保険制度の構築、そしてITの有効活用による医療資源の最適な配分を試みるなど、医療イノベーションの可能性に着目するべきである。高齢化社会は、世界で最も早く人口の高齢化に直面している日本だけの問題では決してなく、他のAPECメンバーもいずれ直面する課題である。そのため、我々は、近い将来に何らかの形で高齢化社会を克服するために、研究協力を推進してゆくべきである。

本ペーパーは、5つのパートからなる。最初の導入部の後、第2部では日本の医療制度について、医療財源と医療提供体制という2つの視点から簡潔に説明する。ここでは、国民皆保険制度による平等な医療アクセスの保障と、全国一律の規制のもとで最低限の医療の質が担保されているという顕著な特徴が明らかにされる。

第3部では、人口の高齢化に伴う医療制度の危機が具体的に説明される。ここでは、医療制度の危機をもたらした要因として、1)高齢者人口の増大、2)人口の減少、3)医療費の増大、4)医療保険制度の危機、5)非効率な医療資源の配分という5つが挙げられる。また、第3部では、財政上の制約のもとで質の高い医療提供を保障し続けるというジレンマが提示される。現行の医療財政の仕組みのままで国民皆保険制度を維持してゆくことは、結局のところ将来の世代に追加的な負担を強いることになってしまうからである。

第4部では、医療サービス分野における基本的な改革案が説明される。1つは、部分的に市場原理を導入するなどの制度的な変更であり、もう1つは、限りある医療資源の最適な配分である。

最後の第5部では、わが国の医療制度における改革の方向性が説明される。第1に、国民皆保険制度を健全な形で維持すること。第2に、より高度で先端的な医療の提供について、特にアクセスとコストの面から検討すること。第3に、より優れた医療制度の構築のため、より透明かつ有効な規制のもとで私人が活躍できるように、あらゆる障害を取り除くこと。第4に、限りある医療資源を効率的に配分するために、IT投資を通じてクリニカルデータなどの情報資源をプライバシーに配慮しつつ利活用すること。