この衆院選で問われているもの − 「保守VS.革新」崩れても

東京大学政策ビジョン研究センターセンター長/法学政治学研究科教授
藤原 帰一

2017/10/20

Photo: K.yamashita

総選挙直前のコラム。この選挙の争点を議論すべきところだが、そもそもこの選挙の意味がわからない。

任期満了の解散ではない。北朝鮮についても税制についてもこれまでに日本政府のとってきた政策と異なる選択を問いかけるわけではない。新たな政策ではなく、現政権への信任を問う選挙、それもいま解散すれば勝てそうだから衆院を解散した選挙である。

新たに結成された希望の党もよくわからない。消費税引き上げの凍結や2030年までの原発をゼロとする公約を見ると現政権との違いはあるが、それらと並んで花粉症ゼロがスローガンに掲げられているのを見ると、どこまでこの政党が「12のゼロ」にコミットしているのか心もとない。

各党の主張を見るなかで浮かび上がるのが、憲法への姿勢である。自民党は「憲法改正の原案を国会で提案・発議」、希望の党は「憲法9条をふくめ憲法改正論議をすすめる」としている。これに対し、立憲民主党は「安保法制を前提とした憲法9条の改悪に反対」し、共産党は「憲法9条にもとづく平和の外交戦略」を訴えている。公明党は、「平和安全法制」を認める点で立憲民主党と異なるが、憲法9条1項2項を堅持するとする点においては自民・希望とやや違いがある。

国際政治や安全保障に詳しいという評価のある国会議員のなかには憲法改正を支持する人が多い。安保法制は、憲法の枠のなかで安保条約との整合性を求め、紛争地域における平和構築への貢献も可能とするはずのものであるが、その安保法制を支持した国会議員が、安保法制だけでは不十分だ、憲法改正が必要だと主張するのを聞いたこともある。

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際政治を専門とするひとりとして、私は国際関係において軍事力の果たす役割は存在すると考える。同盟と抑止、さらに平和構築を軍事力抜きに考えることはできない。

だが、憲法改正を求める政治家の主張は、平和主義の硬直を拒むあまり、軍事力の効果を過信しているのではないか。反撃を予告することで相手の行動をとどめる場面はあるだろうが、攻撃すると脅せば相手が引っ込むとは限らない。紛争における軍事力の効果を過大視すれば紛争を誘発し、拡大しかねないのである。

憲法9条を擁護する政治家は、およそ二種類に分かれている。第一は憲法9条に基づく平和国家をつくる視点から、国際関係における軍事的関与を否定し、日米同盟にも反対する立場、もう一つは国際関係において軍事力の果たす役割があることは認識し、日米同盟にも賛成するが、日本は軍事行動に慎重な政策を貫くべきであり、憲法はその慎重な姿勢を保つために重要な役割を果たしているという考えである。前者が憲法の理想を支持しているとすれば、後者は憲法が権力に加える制約に期待するものである。

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憲法9条に基づく平和国家という構想は、戦争を否定する立場の表明であるとともに、国際紛争への関わりを拒む、事実上の孤立主義という性格もあわせ持っていた。安保条約を認める保守政治家も、軍備拡充より経済復興を優先する点においては、平和主義と完全に対立するわけではなかった。経済成長を優先する保守政党と護憲平和を求める野党諸党が織りなす戦後政治の構図がこうして生まれる。

吉田茂首相の時代に生まれたこの構図は現代世界と大きく異なる。憲法を根拠に国際紛争への関与を拒むことは現実的でも正当でもない。憲法9条に基づく平和国家という構想のなかに国際危機への対応を読み込むことは、私はできない。国際紛争から目をそらした日本だけの平和を求める意味も少ないだろう。だが、保守対革新という構図の背後に、保守革新を通じて軍事力の行使には慎重な態度を共有する基本的な了解があったことは無視してはならない。

そして、現在の国際関係ほど軍事力の行使に慎重な姿勢が必要な状況は少ない。北朝鮮でもイラクでも戦争の可能性がかつてなく高まり、危機を戦争にエスカレートさせない判断力が必要だからだ。合同軍事演習によって抑止力を誇示したところで北朝鮮の行動を変えることは難しく、西側から先制攻撃を加えるリスクも高い。軍事力の限界を知る人でなければ、この状況における外交を担うことはできない。

保守か革新か、安保か憲法かという伝統的な図式はすでに後退している。内部対立を抱えてきた民進党は希望の党と立憲民主党に割れてしまった。安全保障について希望・維新は自民と重なるかやや保守に位置している。それでは、軍事力の行使に慎重を求めるという戦後日本政治の基本合意を壊してよいのか。この選挙で問われているのはその点である。

この文章は朝日新聞夕刊の『時事小言』に 2017年10月18日に掲載されたものです。