我が国の医療安全管理体制の前途に向けて
2018/2/5
平成26年に、長く待たれていた医療事故調査制度が医療法で制定された。この制度は、医療機関で行われた医療行為により事前に予期しなかった死亡事例が発生した時に、当該施設に院内調査を義務付け、その調査報告を民間の第三者機関が収集・分析することで再発防止につなげるための仕組みである。これにより、我が国の医療安全管理体制がより良いものになることが期待されたが、皮肉なことに同年を境に、医療の信頼を損ねるような医療事故の報告が相次いだ。中でも大学病院を中心とする特定機能病院で大きな医療事故が相次いで起きたことは、マスコミで連日報道され、社会問題にもなった。その対策の一つとして、特定機能病院における医療安全対策等のガバナンスが強化されることとなった。
その内容には、特定機能病院の管理者(病院長)になる要件として医療安全管理の経験を求めることや、外部監査を行う監査委員会の設置などに加えて、医療安全管理部門への専従1医の配置が含まれており、医療安全の方向性に大きなプラスとなることが期待されている。しかし私は、現在のままでは十分な効果が上げられない可能性があるのみならず、わが国の医療安全の発展を阻害する危険性さえあると危惧している。そこで本稿では、特定機能病院安全管理部門への専従医の配置と、その影響を解説する。
従来、特定機能病院の医療安全管理部門には、専従の看護師(施設によっては薬剤師)が配置されていたが、専従医の配置は例外的であった。これは診療報酬2の医療安全対策加算で、専従の看護師、薬剤師の医療安全管理者としての配置が求められていたためと思われる。しかし多職種が連携して提供される医療の中で、医師の医療安全上の役割が大きいことは当然である。特に高度医療が提供される特定機能病院では、事例の分析や対策の立案・周知に医師の視点が必須であり、医療安全管理部門に専従医の配置が望ましいことは明らかであった。
今回の制度改定で専従医の配置が義務化され、多くの特定機能病院に医療安全管理を専門とする専従医、大学病院では教授・准教授、それ以外では部長が誕生することが見込まれている。これまで医療安全管理に従事してきた医師は、たとえ医療安全のポストに就いていたとしても、多くの場合は自ら専門とする領域の診療を行う傍らで医療安全管理業務を行わざるを得なかった。特定機能病院に医療安全の専従医が配置されることで、これまで施設に任されていて標準化されていなかった「医療安全学」の研究が進むと共に、大学病院では医学部学生への教育が充実することが期待できるはずである。これまで医学部教育で医療安全が占める割合は少なく、講義や実習は6年間で数時間程度の大学が大部分であったが、医療安全が1年あたり1時間程度で教育できるとは到底思えない。
特定機能病院の安全管理部門への専従医の配置に続いて、医師の配置を診療報酬で評価するという動きが出ている。中央社会保険医療協議会における平成30年度診療報酬改定の議論の中で、医療安全管理部門に専従の医師を配置している場合の、医療安全対策加算の評価の見直しが提案されている。この提案に対して、同委員会の診療側委員からは、医療機関が加算を獲得するために、医療現場で診療する医師を医療安全専従にすることで、医師不足が助長されることが懸念されているが、医師による医療安全管理を医療機関に要求するという考え方は歓迎できる。
しかし診療報酬改定の目指す、幅広い医療機関への専従医の配置には、医療安全を専門とする医師が必要であるのみならず、現在手つかずの医療安全学の標準化までが必要となるはずである。そこで残念なのは、特定機能病院で義務化された医療安全の専従業務は病院のための業務と解されるため、現時点では学生教育や医療安全学に関する研究が含まれない可能性が高いことである。新たに専従になる医師は、自施設の医療安全管理業務には専念できるが、今後の我が国の医療安全を発展させるために必須の、学生教育や研究には専念できなくなる可能性があるということである。それどころか、医療安全を専門とする医師が、教育や研究から離れて、自らの勤務する病院だけのために働くことを余儀なくされる危険性さえあるということである。
特定機能病院の医療安全管理部門に専従医の配置を義務付けることは、当該施設の安全管理体制の充実に役立つ可能性はあるが、現制度のままでは、逆に医療全体のレベルアップを遅らせる危険性がある。我が国の医療安全管理をより良いものにするためには、診療報酬で幅広い病院に医療安全の専従医を配置する前提として、新たに専従になる医師が医療安全の標準化や教育研究に従事できる体制が必要であることを強調したい。
- 専従とは、業務を行う時間のうち80%以上で所属する部門の業務に従事することである。
- 患者が保険証を提示のうえで受ける医療行為に対し、医療保険から医療機関に支払われる料金。