立ちすくむ多元社会 − 性質の異なる危機感

東京大学政策ビジョン研究センターセンター長/法学政治学研究科教授
藤原 帰一

2018/2/7

Photo: K.yamashita

ポピュリズムという言葉を耳にすることが増えた。イギリスの国民投票とアメリカ大統領選挙から後のことだ。欧州連合(EU)離脱やドナルド・トランプ氏の当選は、大衆に迎合する政治の表れだという判断だろう。

大衆迎合的な政治に傾く可能性は民主主義が本来そのなかに含んでいるものだ。選挙で選ばれたことを根拠として裁判所や議会による権力の規制を抑え込む政府もいま始まったことではない。国民の選んだ代表が法による支配に縛られない権力を行使するという、民主政治のパラドックスである。

このパラドックスに関する限り、日本の安倍政権にも共通の特徴を見いだすことができる。日本では数少ない長期政権を維持するなかで、裁判所や国会による行政権に対する牽制(けんせい)は衰えた。その牽制を求める勢力は日本国憲法と立憲主義に基礎を置き、それ自体が野党勢力の分裂と安倍政権の安定を促すという構図である。

*

だが欧米と日本の政治には違いがある。移民・難民問題の比重が異なるのである。

いまイギリスやアメリカで指摘されるポピュリズムのもとで進められているのが、移民と難民への規制である。イギリスでEU離脱に賛成した国民のなかには移民の入国規制を求める声があった。大統領に立候補したときからドナルド・トランプ氏がメキシコとの間に壁をつくることを求めたことはよく知られているだろう。

英米両国だけではない。2017年のフランス大統領選挙では移民排斥を訴える国民戦線の候補マリーヌ・ルペン氏が決選投票に進出し、ドイツ議会選挙でも右派政党ドイツのための選択肢が連邦議会で94議席を獲得した。これら諸国では右派政党の単独政権は生まれていないが、東欧ではポーランドの「法と正義」党政権やハンガリーのオルバン政権などの右派政権が相次いで生まれ、時にはEUに正面から挑戦しつつ移民排斥を進めている。

移民問題が争点となる最大の理由は雇用であるが、移民に雇用を奪われる懸念は新しいものではない。だが、シリアやイラクなどからヨーロッパに難民が流入するとともに、難民受け入れによってテロが拡大する懸念が加わり、移民と難民をともに拒む政策への支持が広がっている。

移民国家であるアメリカはもちろん、英独仏などヨーロッパ諸国では数多くの移民が住み、多民族多宗教の共存の実現が政治課題となってきた。各国による違いが大きいとはいえ、難民の受け入れにも取り組んできたといっていい。

そのような地域で移民と難民の排斥を訴える勢力が台頭すれば、ただでさえ多数派の国民とマイノリティーの間に潜む対立が拡大しかねない。マイノリティーの一員であれば合法移民であっても迫害の対象となりかねないのだから、恐れるのは当然だろう。欧米地域におけるポピュリズムへの危機感は、民主政治のもとの強権拡大という危機に加え、あるいはそれ以上に、マイノリティーの排除に向かう政治に対する危惧に支えられている。

*

日本では、このような移民と難民の受け入れに対する懸念が共有されていない。従来、移民も難民も制約する政策をとってきたからである。

日本における植民地帝国の解体は独立運動を前にした撤退ではなく、敗戦による帝国解体というかたちで進んだ。日本は単一民族が居住する国家であるという観念もその過程で強まった。出生率の低下が経済に影響を与えた後も、移民規制は厳しく、難民受け入れはさらにわずかであった。

在日コリアンに対するヘイトスピーチのような深刻な問題を無視してはならないが、現在の日本は、すでに多くの移民が居住し、難民受け入れが争点となっている欧米諸国とはやはり状況が異なるというべきだろう。アメリカやヨーロッパでポピュリストが移民排斥を求めるとき、日本は移民も難民も少ない社会を既に実現していた。

移民が少ないから移民排斥も争点になりにくい。欧米におけるポピュリズムと日本との違いがここから生まれる。民族や宗教による迫害が伴う醜い言説や暴力と対比して、日本が難を逃れたと考える人もいるだろう。

私はそう思わない。同じ国家のなかで民族や宗教の異なる人々がどのように共存できるかという問いは、単一民族の国家という観念が先に立つとき、脇に追いやられてしまう。そこから生まれるのは日本国民の結束と優位を自明の前提とするナショナリズムの高揚である。

多文化の共存を試みた社会ではその枠組みが動揺し、「単一民族」の保持に努める社会が安定を誇る。多元社会に厳しい時代が始まっている。

この文章は朝日新聞夕刊の『時事小言』に 2018年1月24日に掲載されたものです。