北朝鮮とシリア情勢 − 構造変動を見抜く力を

東京大学政策ビジョン研究センターセンター長/法学政治学研究科教授
藤原 帰一

2018/4/19

Photo: K.yamashita

国際政治では多くの事件が発生する。いや、正確に言えば、事件が大きく報道されると報道自体が事件を大きく見せてしまう。だからこそ、伝えられる変化のなかから効果が短期にとどまるものと構造的な変動とを区別して考えなければならない。金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長とトランプ米大統領の首脳会談と米英仏三国によるシリア空爆はその一例である。

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まず米朝首脳会談から考えてみよう。この会談はいつどこで開かれるのかも含めて細目は決まっていない。だが、トランプ大統領が会談の可能性を示唆して以来、北朝鮮に対するアメリカの武力攻撃も懸念された状況は、朝鮮半島に非核化を実現する機会が訪れたかのような報道に塗り替えられた。それでは何が変わったのだろう。何が新しいのだろう。

北朝鮮の態度が変わったとはいえない。北朝鮮政府はアメリカ政府との直接交渉を求めてきたから、米朝首脳会談に応じたことは北朝鮮の譲歩ではない。北朝鮮の非核化は在韓米軍の撤退と引き換えの提案であり、一方的な北朝鮮核戦力の廃絶ではない。西側の圧力によって北朝鮮が政策を変更したと考える根拠はいまのところ見当たらない。

新しいのは、韓国大統領に文在寅(ムンジェイン)が就任したことだ。李明博(イミョンバク)、朴槿恵(パククネ)両大統領と異なる左派政権として、文在寅は外交交渉による南北関係の打開を求めてきた。朝鮮半島情勢のイニシアティブは、いまソウルが握っている。

だが、米朝首脳会談に賛同したとはいえ、アメリカ政府が北朝鮮の求める朝鮮半島非核化を受け入れたとはまだいえない。北朝鮮が具体的な核廃棄を伴わない非核化の協議を求めた場合、アメリカは日本などの同盟国の批判を振り切って受け入れるか、交渉決裂に踏み切るかという決断を迫られる。後者になれば、朝鮮半島情勢は振り出しに戻ってしまう。現段階における北朝鮮情勢の変化は、思いのほか限られたものに過ぎない。

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ではシリア空爆はどう考えるべきか。オバマ政権はいわゆる「イスラム国」をターゲットとする攻撃は行う一方、国内で虐殺を続けるアサド政権への武力行使は避けてきた。それに対し、トランプ政権はアサド政権の化学兵器使用に対し、2017年に攻撃を加え、さらに今回は英仏両軍とともに化学兵器貯蔵施設などへの攻撃を行った。これだけをみればアメリカのシリア政策が変わったように見える。

だが、今回のシリア攻撃は化学兵器に関連した標的に限られ、全面的な軍事介入とはほど遠い。マティス国防長官は、この攻撃が体制転換、つまり武力によるアサド政権の転覆を目的としていないことを明示した。そして、地上軍の派遣を伴う介入ではない限りシリア国内におけるアサド政権の蛮行を食い止めることは難しい。シリア情勢はアサド政権とそれを支援するロシア・イラン両国の優位が続いており、米英仏三国の介入がそれを変えたと考える根拠は乏しい。

では、何が変わったのか。それは中国・ロシア両国の求める地域覇権の模索によって、東西冷戦終結後に続いてきたアメリカの主導する国際秩序が動揺する状況である。地域覇権とは、その国家の近隣地域に欧米諸国の影響力が及ぶことを阻む試みであり、大国の競合によって国際関係が不安定となることは避けられない。

中国の台頭についてはすでに多くの分析が行われているので繰り返さない。むしろここではロシアのプーチン政権に注目したい。クリミア併合後に展開された西側諸国の経済制裁にもかかわらずウクライナとシリアへの介入を続け、イランばかりかトルコも引き寄せ、中東における欧米の影響力を削減することに成功した。

北大西洋条約機構(NATO)諸国はロシアへの警戒を強めたが、トランプ政権はロシアとの対決を避けてきた。しかし、大統領選挙におけるロシアとの連携が疑われるなか、アメリカは諜報(ちょうほう)員と疑われるロシア外交官を国外追放し、さらに新たな経済制裁を提案するに至った。

東西冷戦が再開したとはまだいえない。経済制裁の追加提案を拒むなど、トランプ大統領は対ロ強硬策にいまなお抵抗している。それでも、アメリカを頂点とする「自由世界」の統合が失われ、大国の競合が深まったことは否定できない。

朝鮮半島情勢もシリア情勢も流動性を高めていることは疑いないが、長期的な転換の兆しはまだ見えない。それに対し、中ロ両国、ことにロシアとの緊張の拡大は国際政治の長期的変化を招く危険が大きい。短期の変化と長期的な構造変動を区別する視点が今ほど求められるときはない。

この文章は朝日新聞夕刊の『時事小言』に 2018年4月18日に掲載されたものです。