北朝鮮は変わったのか − 恐るべき「教訓」を懸念
2018/5/17
南北の分断と対立が続いた朝鮮半島に変化が訪れている。何が変わっているのか、どれほど大きな変化なのか、考えてみよう。
まず、北朝鮮とアメリカの関係に変化が見られる。ドナルド・トランプ米大統領と金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長の会談については開催日と場所が決まった。首脳会談に先だってポンペオ米国務長官は平壌を訪れて金正恩と面談し、北朝鮮に抑留されていた3名のアメリカ国民の解放も実現した。
さらに北朝鮮政府は米朝首脳会談よりも前の5月中に核兵器の実験場を廃棄する方針を発表し、これを歓迎するとトランプはツイッターを通して表明した。かつて金正恩をロケットマンと揶揄(やゆ)したことを考えるなら、北朝鮮に対するトランプの態度が変わったことは否定できないだろう。
それでは北朝鮮に対して、アメリカ、さらに韓国と日本の求めてきた朝鮮半島の非核化が実現に近づいたのか。私はそう考えない。
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米朝会談に向けた変化を促しているのは文在寅(ムンジェイン)政権である。北朝鮮に対する政策は韓国政治を左右に分断してきた。右派勢力が北朝鮮を韓国の安全に対する最大の脅威として捉え、その脅威に対抗するためにアメリカとの同盟を支持してきたとすれば、左派勢力はアメリカと北朝鮮の間における戦争状態の終結と朝鮮半島における南北の緊張緩和を求めてきた。
李明博(イミョンバク)、朴槿恵(パククネ)と二代続いた右派政権が倒れた後に大統領に就任した文在寅の外交政策は、金大中(キムデジュン)、盧武鉉(ノムヒョン)大統領のそれを継受したものといってよい。ただ、これまでの左派政権の場合、南北関係を改善しようとすれば対米関係が悪化するというジレンマを抱えてきた。かつての盧武鉉大統領の失敗を政権の中で経験した文在寅は米朝首脳会談に応じるようにトランプの説得を試み、それに成功した。新しい点があるとすれば、この一点である。
文在寅の第一の目的は南北の対話であり、朝鮮半島における緊張の緩和である。同じ民族が南北に分断されてきた悲劇を顧みるなら正当な目的というほかはない。文在寅と金正恩との南北首脳会談の開催は、間違いなく歴史的な意義を持つものであった。
逆にいえば、北朝鮮の核兵器を廃棄することは文在寅の第一の課題ではない。朝鮮半島の非核化を訴えているとはいえ、米朝関係と南北関係の緊張緩和が優先されており、韓国政府は将来における核開発の放棄や国際査察の受け入れを求めているが、現在北朝鮮の保有する核兵器の廃棄を重視しているとはいえない。
北朝鮮が譲歩したわけではない。トランプ政権は北朝鮮に対する軍事的威嚇を繰り返し、中国も含む経済制裁の強化も実現したが、その圧力に屈して北朝鮮が米朝首脳会談に応じたとは言えない。米朝会談は以前から北朝鮮が求めてきたものであり、変化があるとすればアメリカの方だからである。核実験場の廃棄や抑留者の解放に応じたとはいえ、北朝鮮は現在保有する核兵器を廃棄するというコミットメントを示していない。当面は核保有を続けつつ経済制裁の解除を実現できるのならば、米朝関係の改善は北朝鮮にむしろ有利な選択である。
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だがトランプは、アメリカの圧力のために北朝鮮が変わったという認識をとっている。さらにその認識のもとに、アメリカ政府はイラン核合意からの撤退に踏み切った。かねてトランプはイランとの合意は最悪のものだと口を極めて非難してきたから驚きはない。経済制裁の再開と強化に訴えることでイランの政策を変えることができるという判断がここにある。
その判断に根拠はない。もともとミサイル実験や核実験を繰り返してきた北朝鮮と異なり、イランは核合意を基本的に遵守(じゅんしゅ)してきた。それでもなおアメリカが核合意を放棄するならアメリカとの約束に意味はないことになり、イラン国内の対米強硬派を勢いづかせてしまう。イスラエルのネタニヤフ政権がイラン核合意に反対する先鋒(せんぽう)にいるだけに、アメリカばかりでなくイスラエルとの緊張が激化することも避けられない。
南北間の信頼醸成と共生を求める韓国政府のイニシアチブは正当である。だが、北朝鮮の保有する核兵器を既成事実として認めることは核兵器の拡散を広げる結果を招く懸念が残る。軍事的威嚇と経済制裁によって北朝鮮が変わったという認識にも賛成できない。そのような認識は米朝接近の長期的な持続を揺るがすばかりでなく、核兵器さえ持てばアメリカが寄ってくるという恐るべき「教訓」を残し、中東情勢の混乱を深める結果に終わるだろう。
この文章は朝日新聞夕刊の『時事小言』に 2018年5月16日に掲載されたものです。