トランプ・ショック − 国際秩序が壊れる危険

東京大学政策ビジョン研究センターセンター長/法学政治学研究科教授
藤原 帰一

2018/6/21

Photo: K.yamashita

米朝首脳会談後の朝鮮半島で戦争が起こる可能性は当面遠のいた。では世界は平和に向かうのか。私はそう考えない。トランプ政権の目的は朝鮮半島の和平よりもアメリカの負担軽減に向けられているからである。

首脳会談後の共同声明では朝鮮半島の非核化について北朝鮮側のとる具体的措置には触れない一方、会談後の記者会見においてトランプ氏は米韓合同軍事演習を行わない方針を発表し、その根拠に演習がアメリカに与える負担を指摘した。北朝鮮との関係改善を核廃棄より優先することによって、短期的には核保有国として北朝鮮を認める危険を冒したのである。

北朝鮮との関係改善と異なり、友好国とアメリカの関係は厳しい。主要7カ国首脳会議(サミット)では、アメリカがEU、カナダ、日本などに課した鉄鋼・アルミ製品への関税について対立が続き、トランプ氏が共同声明への支持を撤回する事態に発展した。

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この二つの事件、サミットにおけるトランプ氏の行動と米朝首脳会談には、同盟と自由貿易からアメリカが離れてゆくというつながりがある。安全保障における同盟と経済における自由貿易は、アメリカ対外政策の重心だった。どちらもアメリカにとって有利であるが、アメリカの友好国も同盟と貿易体制を自国の利益となるよう利用してきた。アメリカの主導する国際秩序とは、アメリカが同盟と自由貿易を主導し他国がそれを支えることで成り立ってきた。

しかしアメリカ国内には、同盟と自由貿易を支えるためにアメリカが過大な負担を強いられているという批判があった。大統領選挙の過程でトランプ氏が繰り返したのもその批判である。だからこそトランプ氏が大統領に就任すると欧州諸国との緊張が生まれた。アメリカが同盟と自由貿易から離れては困るからだ。

ドイツなどと異なり、日本の安倍政権はトランプ氏の懐に飛び込むような接近を図った。だが、トランプ氏との親交が日本の望む政策を導いたとはいえない。トランプ氏は政権発足直後に環太平洋経済連携協定(TPP)から離脱し、鉄鋼・アルミ製品の関税を中国、EUやカナダばかりでなく日本にも課した。北朝鮮に対しては、安倍政権は最大限の圧力を加えるというアメリカの強硬策を強く支持し、アメリカの北朝鮮政策が変わることによって梯子(はしご)を外された格好となった。拉致問題についてトランプ氏が首脳会談で言及したとしても、北朝鮮から譲歩と呼べるものは示されていない。どれほどトランプ氏に接近してもアメリカの同盟と自由貿易への関与を支えることはできなかった。

威嚇を本質とするだけに同盟は平和を保障しない。だが同盟には覇権国の権力を制度のなかにとどめ、国際関係の安定を図る役割もある。同盟関与からアメリカが離れ、貿易政策で各国との対立に向かうなら、各国が単独行動に走り、国際関係を不安定とする危険が生まれる。トランプ・ショックだ。

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かつてニクソン大統領は、米中接近とドルの金兌換(だかん)停止という二つのショックによって日本外交に打撃を与えた。ニクソン大統領の政策はベトナム戦争が膠着(こうちゃく)する一方で経済が逼迫(ひっぱく)した状況への対応であるが、米中接近の裏側がニクソン・ドクトリン、つまりアメリカによるアジア防衛への関与の軽減だったことを考えるなら、トランプ・ショックとニクソン・ショックには共通する面もある。

トランプ政権が中国を牽制(けんせい)する手段としての同盟から離れたとはいえない。当面日本政府は同盟と自由貿易へのコミットメントを維持するようにアメリカ政府に求めるだろう。だが、米韓演習中止などの政策を見る限り、その試みが成功する保証はない。

ではどうすべきか。いま必要なのはアメリカにひたすら寄り添うことでも、共同演習などアメリカの後退が平和を生むと期待することでも、自主防衛に走ることでもない。求められるのは、国際秩序がさらに壊れないように下支えする国際協力の模索である。

ニクソン・ショック後の日本は、東南アジア諸国との連携を強化し、アメリカの懸念を押し切って日中国交正常化に踏み切った。経済外交と多国間協調によって覇権国の後退に臨んだのである。いま、トランプ・ショックが野火のように燃え広がるなか、日本はEU諸国やオーストラリア、さらに可能な限りで韓国との連携を強めつつ、アメリカが揺れ動いても安全保障と自由貿易の土台が壊れない多国間協調を保持しなければならない。

その展望は暗い。だがトランプ氏に倣うかのように各国が単独行動に走るなら、国際秩序の解体はさらに進んでしまうだろう。

この文章は朝日新聞夕刊の『時事小言』に 2018年6月20日に掲載されたものです。