トランプ氏の欧州歴訪 − 揺らぐ協調、力の論理へ

東京大学政策ビジョン研究センターセンター長/法学政治学研究科教授
藤原 帰一

2018/7/19

Photo: K.yamashita

アメリカがロシアと結び、EU(欧州連合)とNATO(北大西洋条約機構)を敵に回す。欧州訪問におけるトランプ米大統領が振りまいたのは、そんなイメージである。

ヘルシンキにおけるプーチン・ロシア大統領との会談では、米ロ関係を改善する必要を強調し、ロシアが米大統領選挙に干渉を行ったかどうかについては、判断を示さなかった。スコットランドではアメリカの敵は誰かとの問いに対して、第一に挙げたのがEUである。ブリュッセルのNATO首脳会議では各国の国防支出が少なすぎると批判し、ドイツはロシアの人質だとまで言い放った。メイ英首相に向かってEUを訴えればいいと勧めたとも伝えられている。

知恵なき雄弁を戒めたのはキケロであるが、トランプ氏の場合は雄弁よりも暴言と呼ぶべきだろう。だが、ここでの問題はトランプ氏の言語感覚よりも、国際機構に対する感覚である。トランプ氏の目には、TPP(環太平洋経済連携協定)、WTO(世界貿易機関)、あるいはNATOなど、数多くの国際機構や国際協定はアメリカを利用し負担を強いる存在として映るらしい。

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アメリカの外にいるものにとって、これは奇異な光景だ。WTOやNATOのようなアメリカの主導で生まれた機関がアメリカの国益を害するとは考えにくい。それでもここには無視できない国際政治の変化が投影されている。それは、国際機構を主導することによって力を確保するアメリカから、国際合意を離れ、新たな外交交渉に訴えることで国益の拡大を追求するアメリカへの変化である。

国際協定や国際機構は各国がそのルールに従うことによって予測可能性を高め、国際関係を安定に導く役割を担っている。だが、ルールを保つためには各国独自の行動を抑える必要も生まれる。そこから、各国の国益と国際協定との間に緊張が生まれることになる。

日本はそのよい例だろう。日米同盟によって安全保障を実現しながら日米間の防衛分担は国論を二分してきた。自由貿易によって経済が潤いながら、TPP反対が高揚した。同盟と貿易協定はアメリカが日本をいいように操作する手段として見られてきたのである。

国際協力と国益の緊張は覇権国アメリカについても認めることができる。アメリカに不利な同盟や貿易体制とは言葉の矛盾のようにも響くが、各国にアメリカが利用されている、「ただ乗り」されているというアメリカ国内の不満には長い歴史がある。NATO諸国が国防の分担を渋り、EUに有利な貿易が強いられているというトランプ氏の批判は、「ただ乗り」されるアメリカというイメージの延長上にある。

トランプ氏がNATOとEUを繰り返し難じる背景には、アメリカがヨーロッパを必要とする以上にヨーロッパがアメリカを必要としているという現実がある。圧力をかければヨーロッパ諸国がアメリカに譲歩するという期待があるからこそ暴言が繰り返されるのである。

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ここに見られる国際政治のイメージは力の支配する世界だ。もとより国際政治には力の論理の支配する側面がつきまとっており、国際協定や国際機構は法と制度を持ち込むことで弱肉強食を和らげることはできても、力の論理を払拭(ふっしょく)することは難しい。トランプ政権のもとでアメリカが国際的な合意へのコミットメントから後退すれば、法の秩序という外観をかろうじて保ってきた世界が変わることは避けられないだろう。

そして今回の米ロ首脳会談において、トランプ氏は明確にロシアとの関係改善に踏み切った。プーチン氏は欧米諸国の主導する国際機構に正面から立ち向かってきただけに、トランプ氏の選択とは親和性が高い。米ロ両国の協調は国際機構から退くアメリカと裏表の関係に立っている。

だが、トランプ氏が力をちらつかせるだけで国際関係の安定を実現することはできない。高関税を課したところでEUや中国が貿易政策を変えるわけではないし、米朝首脳会談は核保有国としての北朝鮮に安全を保証する結果で終わった。威勢よいレトリックにもかかわらずトランプ氏が外交で達成した成果は少ない。

トランプ氏のアメリカは、国際政治の安定を脅かす脅威、燃え広がる山火事のような存在となった。国際協定や国際機構がすべて焼き払われる前に、日本はEU諸国などの国際社会における力の論理ではなく法と制度を選ぶ側と連帯して、この山火事に立ち向かわなければならない。

この文章は朝日新聞夕刊の『時事小言』に 2018年7月18日に掲載されたものです。