ノーベル経済学賞と地球温暖化の統合評価モデル

東京大学政策ビジョン研究センター准教授(技術ガバナンス研究ユニット)
杉山 昌広

2018/11/30

11月13日~15日にスペイン・セビリアで「統合評価モデル」に関する研究会合に参加してきた1。地球温暖化対策に関する研究会合で、議論の内容は当然ながら真剣であったが、会合にはどことなく高揚感があった。というのも、統合評価モデルは今年のノーベル経済学賞受賞対象の研究の一つなのだ2。受賞者の一人のウィリアム・ノードハウス教授(米国イェール大学)は、1990年代に世界で初めて統合評価モデルを開発した。(もう一人の受賞者は研究開発をマクロ経済成長理論に取り入れたポール・ローマー教授である。)3 今回の経済学賞はこの研究分野がきちんと認識されたということの現われでもある。残念ながらスペインの研究会合にはノードハウス教授はいらっしゃらなかったが、長年研究を共にした研究者から惜しみない賛辞が送られた。

統合評価モデルは最初経済学者によって作られたが、様々な学問分野の研究者が参画する学際的な研究領域である。私は経済学者でないが統合評価モデルの研究者であるので、私なりの解説を試みる4。言葉を分解して後ろから説明しよう。

まず「モデル」とは経済学や物理学などの数式を計算するために研究者が使うコンピューターのソフトだ。簡単なものはExcelなどの表計算ソフトで書かれるが、専用のソフトに基づくものや、大型のコンピューター(クラスターやスーパーコンピューターなど)を使うものもある。

次に「評価」だ。何を計算して評価するかといえば、主に地球温暖化対策だ5。地球温暖化対策を実施した場合の費用はどれほどか、また対策をすることで抑えられる地球温暖化の影響、すなわち対策の便益はどれほどなのか。これは国によって違うのか。また地球温暖化は長期に渡る問題なので、化石燃料から現代世代が得る便益と、将来世代が受ける被害はどのような関係なのか?

最後に「統合」だ。地球温暖化は非常に複雑な問題だ。エネルギーを作るために化石燃料を燃やせば、地球温暖化の主要な原因の二酸化炭素が大気へ排出されるが、そもそもエネルギーは現代の経済活動を支える基礎であり、効率的に排出削減を行うための炭素の価格付け(カーボン・プライシング、炭素税や排出量取引)の評価は必須だ。また対策は新たなエネルギー技術の導入などを考慮しなければならず、工学的視点も不可欠だ。どれぐらい二酸化炭素を排出したらどれほど気温が上昇するかということが分からないと対策の目標も立たないから、自然科学も考えなければいけない。これらを全て統合して考える必要がある。

まとめれば、統合評価モデルは、複数の研究分野の知見を統合して、地球温暖化の政策などを評価するためのコンピューター・ソフトということになる。

ノードハウス教授は経済学者であるが、統合の説明にあるように統合評価モデルの開発には非常に広範な研究分野の知見を精査し、数値的にまとめ、それを経済学・地球物理学・地球化学の数式に落とし込み、最後にコンピューター・ソフトを書かなければならない。教授の広範な知識と、それを学術的に正確かつ綺麗にまとめる能力には、ひたすら敬服する。

ノードハウス教授のもう一つ凄いところは、そのソフトを完全にオープンにして誰でも使えるようにしたことである。今でこそオープン・ソースという、ソフトの内容がすべて公開されて誰もが自由に使えるソフト開発する方向性が一般的になってきているが、ノードハウス教授は先駆けてソフトを公開した。公開は非常に勇気のある行為である。どこで間違いを指摘されるか分からないし、間違いが皆無でもソフトのコードが読みにくい書き方になっているとか様々な文句を言われるかもしれない。ノードハウス教授が開発したDICE(Dynamic Integrated Climate-Economy)モデル(気候と経済の動学的統合モデル)は、教授のホームページから(Excel版も含めて)簡単にダウンロードできる6。ノードハウス教授のモデルを研究や授業での勉強に使った人は世界中にいるであろうし、かくいう私もその一人だ7

ノードハウス教授が最初の統合評価モデルを開発してから、20年以上経っている。研究者の数も増え、様々な統合評価モデルが開発されてきている。その利用の仕方も様々だ。日本や世界の地球温暖化対策の評価(CO2排出量を減少させるという緩和策や気候変動に伴う悪影響への適応)には日常的に使われる8。また国際的な気候変動の科学機関、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の報告書には大きな役割を果たしている。

統合評価モデルの研究から何が言えるであろうか。IPCCは10月、特別報告書『1.5℃の地球温暖化』を公表、また12月にはポーランド・カトヴィツェで地球温暖化の国際交渉が行われるCOP24が開催される。これに関連して、様々なところで最近の知見が解説されている。そこで深入りは避けて主な知見を一つだけ紹介しよう。

2015年に合意されたパリ協定で、国際社会は地球温暖化による気温上昇を2℃より十分に低い水準に抑え、1.5℃に抑える努力を行うことに合意した。この温度目標を達成するためには、気候変動の元凶である二酸化炭素の排出量を減らさなければいけないのは想像にかたくないが、どれほど減らさなければならないのか。統合評価モデルの結果を踏まえると、(不確実性に関する細かな議論を割愛すれば)1.5℃の達成には2050年ごろに、2℃達成のためには2075年ごろに、世界全体のCO2の排出量をゼロにし、それ以降負(ネガティブ)にするということである9

ゼロというのは凄い数字だ。そもそも環境問題で「ゼロ」になったものがあるか考えれば、非常に限られた事例しかないだろう。例えば東京の大気汚染や水質汚濁は高度経済成長期に比べて圧倒的に改善しているが、自動車や工場から出る排出ガスや生活・工業排水はゼロになっていない。

また「ゼロ」は効率改善などでは対応できない世界である。こまめに電気を消して省エネルギーを心がけても、(化石燃料由来の)電気を使っている限り確実にCO2は排出される。家を365日24時間真っ暗にしてエアコンなども全く使わなければゼロになるが、これはもはや省エネルギーとは言えない。統合評価モデルは電気を使ってコンピューターで計算するので、こうしたモデル計算すら諦めなければいけないかもしれない。

では何が必要か。ライフスタイルの変化や社会の変化はもちろん重要だが、究極的にはエネルギーなどの技術的対応が極めて重要になる。世界中の自動車が電気自動車や燃料電池自動車に置き換わり、発電が全て再生可能エネルギー、原子力または二酸化炭素回収貯留技術(CCS)付きの火力発電所になる。さらには植林やCCS付きバイオエネルギーなどの負の排出技術・二酸化炭素除去も必要だ。これらを統合して、総合的に考える必要性があるのだ。

残念ながらノードハウス教授の研究成果は問題への処方箋を示しているわけではないし、この点は受賞理由にも述べられている。ただ、気候変動という今世紀最大の課題の一つに、明晰な思考枠組みを与えてくれたノードハウス教授の業績は間違いなく素晴らしいものであるし、教授のノーベル賞受賞についてこの分野の研究者の一人として大変嬉しく思う10

  1. Eleventh Annual Meeting of the IAMC (Integrated Assessment Modeling Consortium) 2018
  2. 正確にはノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞。
  3. https://www.nobelprize.org/prizes/economic-sciences/2018/press-release/
    本学の福田慎一教授(大学院経済学研究科)によるとノードハウス教授の影響はマクロ経済学というより環境経済学の分野で大きいとのことである(2018年10月16日付け日本経済新聞、経済教室、「ノーベル経済学賞に⽶2⽒ 持続可能な成⻑の姿⽰す、技術⾰新・気候変動に注⽬」)。
  4. オンラインでの経済学者による解説として、以下のものがある。
    2018年10月9日東洋経済オンライン「ノーベル経済学賞が警告する『経済成長の影』今回の授賞に込められたメッセージとは?」(馬奈木 俊介 九州大学主幹教授)
    2018年10月17日東洋経済オンライン「ノーベル経済学賞教授のCO2削減案に批判も ノードハウス教授はより現実的な対策を支持」(大沼 あゆみ : 慶應義塾大学教授)
  5. 統合評価モデルは地球温暖化だけに限られず、様々な環境問題(例えば大気汚染)に関して開発されてきている。また経済学的に言えば費用便益分析、費用効率性分析どちらにも用いられてきている。
  6. https://sites.google.com/site/williamdnordhaus/dice-rice
  7. 小松 秀徳, 杉山 昌広, 小杉 隆信, 杉山 大志, (2012). 地球温暖化の不確実性と気候工学の役割. エネルギー・資源学会論文誌, 33(2), 16-25.
  8. 統合評価モデルに限定されないが、日本のモデルのレビューとして以下を参照。
    森俊介, (2016). 政策分析ツールとしてエネルギーモデルの概要 (特集 エネルギー環境政策のモデル分析). エネルギー・資源, 37(1), 28-32.
    私自身もいくつかの研究を行ってきており、現在も進行中(例えば環境研究総合推進費2-1704)である。
  9. 具体的なタイミングについては様々な不確実性や政策選択の可能性のために幅があるため、ここでは詳細な話には立ち入らない(何%の確率で温度目標を目指すか、一時的な温度上昇の超過を許すかなどが関連する)。ここでの数字はIPCCの1.5℃特別報告書の政策決定者向け要約による。 http://www.ipcc.ch/pdf/special-reports/sr15/sr15_spm_final.pdf
  10. またもっと知りたい方は彼の著作を手にとってもらいたい。以下、邦訳されている環境関連の著作を挙げる。
    ウィリアム・ノードハウス (著), 藤﨑香里 (翻訳). (2015). 気候カジノ 経済学から見た地球温暖化問題の最適解. 日経BP社.
    ウィリアム・ノードハウス (著), 室田 泰弘,高瀬 香絵, 山下 ゆかり (翻訳). (2002). 地球温暖化の経済学. 東洋経済新報社.