第2のダンケルク − 英EU離脱、栄光と悲惨
2019/3/22
1940年、大陸に派兵したイギリスは、ナチスドイツの猛攻を前にフランスのダンケルクから撤兵した。約80年後のいま、イギリスは欧州連合(EU)から離脱しようとしている。
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3月12日から14日の3日間、訪れたイギリスのテレビはEU離脱の下院審議で持ちきりだった。ブレグジット、イギリスのEU離脱についてメイ政権がEUと結んだ協定案は保守党議員の造反を主な理由として1月に下院から否決された。EU条約第50条に基づく離脱期限は3月末。協定なき離脱が現実の可能性として迫るなかで集中討議が行われたのである。
審議の主要点は、協定の内容を補足する文書を加えたなら離脱協定は認めることができるのか、協定なき離脱はしないという決議は可能か、さらに3月末の期限を延長することに下院は賛成するかという三つの点だった。
結局、補足文書を加えても協定は再度否決される一方、協定なき離脱はしないことが決議され、さらに協定期限の延長も認められた。これだけを見るなら、ボリス・ジョンソン元外相などが求めてきたハードブレグジット、つまり3月末をもって協定なしにEUから離脱する可能性は低くなったと言ってよい。
だが、下院における審議は混乱を極めた。与党保守党の内部は協定なき離脱に賛成する者と反対する者とに分かれ、また野党労働党のなかにもコービン党首の方針を受け入れない議員もあったからである。投票のたびに与党からの何人の議員が造反するのかが報道の焦点となり、実際のところ与党案に棄権、あるいは反対する議員は相当の数に上った。集中審議は保守党の亀裂とメイ政権の弱体化を露呈する結果で終わった。
協定案の修正も離脱期限の延長もEUが認めなければ実現できない。メイ首相は与党連合の一角でありながら一連の決議で反対に回った民主統一党(DUP)の協力を求め、補足文書を改定したうえで離脱協定を下院審議に付し、EUの了承を求める方針であると伝えられる。しかし、下院議長は同じ協定の3度目の審議は認めないと述べた。どんな修正にEUが応じるのか、離脱期限の延長はいつまで認めるのかも明らかではない。EU離脱問題は不安定な延長戦に入ろうとしている。
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EU離脱はイギリスの内政を投影している。決して新しいことではない。当初イギリスは欧州経済共同体に参加せず、欧州共同体に加盟した1973年以後も欧州統合に反対する勢力が保守党・労働党を横断して存在した。キャメロン首相が離脱の有無を国民投票にかける提案を行った背景にも保守党内部におけるEU残留派と離脱派の対立があった。国民投票の後に首相に就任したメイの最大の課題はブレグジットが保守党の分解を招かないことに置かれていた。
そもそもEUとは何だろうか。EUは戦争を繰り返してきたヨーロッパ諸国が地域を統合する歴史的実験として語られてきたが、遠藤乾の『統合の終焉(しゅうえん)』は、それまでの研究が多く用いてきた「地域統合」という切り口から脱却して現実のプロセスとしてEUの形成を捉え、EUへの集権化と加盟国の分権化という二つの軸の間を揺れ動く地域機構の姿を描いている。ブレグジットは集権化と分権化の拮抗(きっこう)のなかに生じた現象の一つとしてみることもできるだろう。
それでもEUから出てしまえば経済的打撃は大きいはずだ。だが、下院審議の中心となったのは離脱後のEUとの包括的通商関係ではなく、アイルランドとの国境問題だった。北アイルランドとアイルランドの間で現在の国境管理が保たれるなら、離脱後はアイルランド島とブリテン島との間に事実上の国境が生まれてしまい、北アイルランドが連合王国から引き離されるという懸念から、それを防ぐ防御策(バックストップ)が求められたのである。統合維持がもたらす実利よりも主権国家としての連合王国の一体性を重視する。ブレグジットにはイギリスのナショナリズムが投影されている。
ナショナリズムと自画自賛は裏表の関係にある。ドイツを前に兵を撤収したのだからダンケルクは惨めな撤退だったはずだが、民間の船によってイギリス兵を救出した美談としてイギリスでは語られてきた。EU離脱派は、自分の首を絞めるはずのEU離脱をイギリス国民の栄誉を保つ選択として求めている。
ブレグジットはイギリス国民の自画像とその歪(ゆが)みを伝える残酷なエピソードである。結局イギリスはEUから離脱することになるだろう。ブレグジットの後もEUが解体に向かうことにはならないだろう。だが、こんなことのどこに意味があるのだろうか。
この文章は朝日新聞夕刊の『時事小言』に 2019年3月20日に掲載されたものです。