政策提言
金融制度の今後のあり方
2019/2/26
*本稿は、2018年9月18日に東京大学公共政策大学院にて開催されたシンポジウム「新時代における金融システム・法制度の展望」における著者の発言を加筆修正したもの(全体像は三井他(2018)参照)であり、また金融庁での金融審議会金融制度スタディグループにおける著者の意見を、経済学的な背景を含め、まとめたものである(金融審議会(2018)参照)。
はじめに
世界金融危機から10年を経て、日本でも世界でも金融業をめぐる規制などの制度が変わってきましたが、昨今のいわゆるフィンテックの興隆と異業種からの参入を受け、金融制度はどうあるべきか、今までの常識にとらわれず、根本的に原理原則から考える必要が出てきました。
ここでは、経済学的な知見が大きく役に立ちます。というのも経済理論においては、原理としてまず「定理」として発見することが重視されます。そして、その「定理」というのは、「前提」をもとに、しっかりとした論理で証明することが求められます。それらが集まったものが経済理論です。さらに、実証研究において、理論から導かれるデータの特徴が現実のデータに当てはまるかどうかを統計的に確認します。実証研究で問題があれば、理論の論理構造はおかしくはないことが証明されていますので、理論の前提がおかしいだろうということで、前提に戻り、より現実的な前提に変えて、改良した理論を提唱します。もちろんこの段階で変な前提というのは置くことはできず、今までの研究で認められている前提からの乖離は困難ですので、これまで判明していることに沿ったものだけが認められ、その理論的帰結と実証による検証が、新たな経済学的知見として蓄積されていきます。
金融危機と金融規制をめぐる歴史
世界の金融システムの歴史をさかのぼりますと、1920年代まで非常に自由なものでした。2003年のRajan and Zingalesの論文では、1913年のほうが1980年よりGDPに比して金融活動が進んでいて、2000年ごろにようやく1913年のレベルを超えたという事実を示しています。なぜ80年ほど金融活動が低迷していたのかといいますと、1930年代に世界恐慌や、その後第2次大戦などがあり、アメリカも含めて全世界は統制経済化したからです。特にそれは金融業で顕著でした。
第2次大戦後には、直接的な金融規制が全世界で広がっていました。これは日本にも当てはまり、金利規制、貸出先指示、国有銀行、銀行免許制、国際資本取引規制、中央銀行の政府への従属など、いろいろな意味で非常にきつい直接的な金融規制を、各国が採用していたのです。
それを緩和してきたのが、世界的に80年代、90年代のことで、金融自由化・国際化と呼ばれます。そうした潮流の中、完全に銀行への規制をなくすわけにもいかないというので、プルーデンシャル規制と呼ばれる間接的な規制(主に資本規制)が始まりました。
その後、かなり金融が自由になってから、2000年代前後になって、アジア経済危機の反省のもと、金融市場のゲームのルールを改善しようということになりました。それらは、コーポレート・ガバナンス、国際会計基準、破産法などの改良という形をとって、全世界的に行われました。
それでも起きたのが、2008年に端を発した世界金融危機です。それを受け、2010年代に金融のルールの強化ということで、主に銀行業の資本規制の強化のほか、いくつか追加の間接的規制などが、国際的に合意を受け、各国で採用されてきているところです。
これまでの経済学の研究では、80―90年代の金融自由化、国際化のあたりから、しっかりとした理論が考えられ、また理論に基づいた実証研究がなされてきております。端的に言えば、自由化・国際化は、ほぼ正しかったと評価されています(例えば、Ranciere, Tornell, and Westermann, 2006; Abiad, Omes, and Ueda, 2008,など)。
「ほぼ」というのは、情報が不完全な状況で、全く自由放任な行動が取られると、悪意をベースとした行動もあり得たり、また悪意はなくとも貸借や投資の水準が過大または過少となる可能性があります。そこで、1997−98年のアジア金融危機を経て、会計基準、コーポレート・ガバナンス、破産法などを、改善しようというのが2000年代以降の各国の努力として現れました。それらの改善も有意義であったことが経済学的研究で明らかになっています(例えば、Laeven, De Nicolo, and Ueda, 2008; Classens, Ueda, and Yafeh, 2014など)。
2008年以降の金融危機後の、バーゼル等で行われた国際的な金融規制のさらなる強化においては、こうした経済学の知見を生かし、経済学の研究者がかなり活発に議論に参加しました。この制度変更の実証的な評価は、学会や規制当局などで、現在進行中です。
金融業界の現状
2018年末時点での金融業の現状は、世界金融危機から10年を経て、プルーデンシャル規制の強化などの制度改善がほぼ落ち着いた状況です。しかしながら、規制の遵守にはコストがかかるため、規制外にある新たな金融関連企業とのコスト差が広がってしまった側面もあります。もちろん、オフバランスの資産、マネーマーケットファンドなどにも、ある程度規制の網を広げているのですが、それでも技術の進展もあり、規制外の新たな金融サービスが次々と出てきている状況です。スマホでの決済専門などニッチなサービスを手がける企業の興隆、AIなど新しい技術に基づいた金融業自体の変革、またインターネット上のシェアの高い小売業など異業種企業の参入など、金融業の勢力地図が大きく変わろうとしています。特に、銀行、証券、保険といった大きな業態ごとのカテゴリーでくくれない、例えば決済に特化した小回りのきく企業や、また逆に決済を手がけつつも貸金業も行うというような、金融の細かい機能をいくつか横断的に行う企業がでてきており、今後も現時点では予測がつかないようなサービスが勃興する可能性があります。
このような昨今の金融業の動きに応じて、従来のような、銀行、証券、保険といった業態別に対応してきた金融制度もまた変わらなければならない状況です。すなわち、業態別から機能別にならざるを得ません。そして、どの機能にどのような規制が必要かを問い直すことが必要となります。
銀行の特殊性と規制の必要性
変革が必要と言っても、金融制度を何もかもゼロから変えると言うことではありません。これまでの経済学の研究の積み重ねの中で分かっていることを変える必要は当面はないでしょう。とりわけ、伝統的な銀行業の特殊性というものが依然として存在することを認識すべきと思います。例えば、今まで、非金融の一般事業者には資本規制などは通常求めてきていませんが、銀行には求めてきています。それは、銀行業の特殊性に大きく関係します。
逆に言えば、そもそも普通の一般事業者には資本規制は必要ないと、経済学的には言えます。理由は、究極的には「厚生経済学の基本定理」というものに行き着きます。この基本定理は経済学の金字塔のような定理でして、「市場がよく機能していれば、社会的に最適な財配分が達成される」ということを明らかにしています。したがって、原則として政府は市場に介入する必要がない、規制も必要ないということになり、どのような規制を考える際にも、まずこれを出発点として経済学では考えます。その上で、なぜある業界は特殊で、規制が必要なのかという議論をすることになります。伝統的銀行業は特殊だということは多くの金融経済学者が信じているかと思いますが、それはなぜかというと、それを説明する理論があり、また実証研究がなされてきているからです。
銀行の特殊性というのは、特に、資金の満期(マチュリティ)変換とそれに伴う信用創造です。非金融の一般企業や、金融業でも投資ファンドなどは、財務リスクを低減するために、資産側と負債側の満期をある程度マッチさせればリスクが低減できるのですが、銀行は違います。銀行はその本質的な役割として、要求払い預金、つまり要求されたら払わないといけないという短期の資金を調達して、企業の設備投資や消費者の住宅購入のための長期借入に伴う資金を供給します。すなわち、根本的に短期と長期という資金のミスマッチがバランスシートの負債側と資産側であるわけです。
なお、家計は日常生活資金としてすぐに引き出せる預金を必要とする一方、家計の住宅購入や企業の工場・機械の購入には、長期の借入を必要とするため、マクロ経済全体で見て、マチュリティ変換をする伝統的な銀行業務がなくなるとはなかなか考えにくい状況です。また、いわゆる証券化による売却を通じて、銀行のバランスシートを流動化すれば良いとの理論もありますが、現時点ではそうした市場の発達したアメリカでさえも、全ての銀行ローンの証券化は難しい上に、ハイリスクハイリターンやローリスクローリターンの証券は売れるものの中間(メザニン)の証券は、2008年以前の証券化が大いに盛んだった時にも、市場での売却が難しかったことが知られています。
このように短期と長期の資金のミスマッチがある状況で、急に大量の預金の引出しがあると、長期貸付の無理な回収や売却(ファイヤーセール)を行い、買い叩かれることとなり簿価以下で現金化されることになります。預金者からしてみれば、他の人より早く預金を引き出せば、おそらく銀行にもまだ資金があると予想し、他の人より早く預金を引き出そうとします。これを皆がすると、いわゆる取付け騒ぎとなります。ここで重要なのは、健全な銀行でも、風評だけで破綻するということです。これを流動性の問題といいます。これを防ぐために、預金保険や中央銀行による危機時の融資(「最後の貸し手」)というものが必要になることが理論的に明らかになっています(Diamond and Dybvig, 1983)。すなわち、そのような公的セーフティネットは、預金者に対し、たとえ多くの他の預金者が銀行に殺到しても自分の預金は戻ってくるという安心を与えることとなり、誰も風評だけで銀行に走らないことなります。
しかしながら、その一方で、潰れる銀行というのは、往々にして実際に大きく損失を抱えている場合が多いことが知られています。これを資本不足(債務超過)問題といいます。実は、預金保険や中央銀行の「最後の貸し手」など強いセーフティネットがあると、銀行は自前でいざという時の準備をしなくなり、またよりハイリスクでハイリターンなもの(サブプライムローンなど)に融資や投資をしていくことにもなります。そのため自己資本が低下しつつ、資産リスクが高まり、債務超過となる可能性が高まるという理論があります。
すなわち公的なセーフティネットには、その影響について二つの相反した理論があります。実証研究においては、両方の理論とも当てはまることが分かっています(Demirguc-Kunt and Detrageache, 2002; Calomiris and Jaremski, 2016)。従って、流動性問題を回避するというセーフティネットの便益を享受しつつ、過小資本から引き起こされる銀行危機のリスクを下げるために、資本規制など、銀行が慎重に行動するように仕向ける間接的なプルーデンシャル規制が、必要となります(Kareken and Wallace, 1978)。これが、銀行の特殊性とそれに基づいた規制の必要性の経済理論となります。
どの程度の資本が必要かについては、歴史を振り返ることが一助となります。アメリカで、連邦準備銀行が強化された1923年以前(連邦預金保険は1933年)までというのは、ナショナルシティ銀行やモルガン銀行など大手銀行はほぼ20%程度自己資本を持っていたことが分かっています。自分で自分を守らないといけないからです。しかし、その後、連邦準備銀行が強化された1923年や連邦預金保険ができた1933年以降、どんどんと自己資本が低下していきます。そういう歴史も踏まえて、伝統的な銀行業には、セーフティネットを政府が用意する代わりに、資本規制が必要だということになります。いわゆるバーゼルIIIではこうした議論(と後述する「大きくて潰せない」問題)を踏まえ、資本規制などが強化されました。
なお、伝統的銀行業というのは、改めて述べますが、あくまでも要求払い預金を受け入れ長期で貸出すという銀行業です。もちろん、資本規制を中心とするプルーデンシャル規制以外にも、例えば詐欺を防ぐためなど、いろいろな規制があるのですが、こういった商取引一般にかかわる規制は他の産業にも当てはまるわけで、特にある産業に特殊的な規制というのは、(電力会社など自然独占と言われるケースを除くと)経済学ではあまり考えられないことなのです。なお、より積極的に投資家の利益を保護するためのコーポレート・ガバナンスやフィデューシャリー・デューティーといった制度も様々な業種にまたがるものです。
フィンテック
いわゆるデジタル情報を積極的に利用するフィンテック企業の新規参入による競争の激化は、もちろん消費者にとって良いことがあります。一般的に金融サービスのコストが下がれば、より多くの人たちが安価に多彩な金融サービスを使えるようになります。これを経済学では金融深化と(進化ではなく)呼びます。例えば中国では、アリペイや関連会社のアントファイナンシャルによって、低コストの決済サービスやローンの提供が、田舎にまで行き渡るようになり、それまで金融サービスを受けられなかった企業や人々が受けられるようになったということが、実証研究で示されています(Hau et. al. 2018)。なお、一般に、発展途上国における金融深化は、経済発展にとって、また人々の暮しそのものにとって良いものであることが分かっています(Townsend and Ueda, 2006など)。
また、金融の複雑化と人口の高齢化に伴い、様々な金融サービスがわかりにくいという人も増えているかと思います。これを金融リテラシーの問題といいます。その一つの答えもまた、フィンテックが可能にすることでもあるかと思います。人々がわかりやすく使えるようなサービスがそれで、例えば、それぞれに人生段階に応じた最適なポートフォリオの組み合わせをAIやロボットによって提案するようなサービスが挙げられます。
フィンテックがもたらすもう1つの側面はグローバル化のさらなる進展です。そのような企業は、起業家活動の活発な国や規制コストの低い国での創業と、急速な国際展開というパターンがしばしば見られます。こうした中、新たな強い金融業を日本でも育てるには、これまでの経緯を基にした日本独自の規制や慣習などを続けるわけには、なかなかいきません。もちろん既にそういう状況には、あらかたないことは周知の通りです。すなわち、すでに日本をはじめ先進国と主要な新興市場国では、基本的にはバーゼル等で国際金融規制の議論をしてから、各国でそれに沿って国内制度を整備するようになってきています。国際的な金融規制を議論する場では、各国の歴史的経緯よりは、経済学的な原理・原則に基づいた議論がなされざるをえません。
ただし、経済学的には、技術革新と金融深化に関して、フィンテックで新しく何かすごいことが起きたとはあまり思えません。ひと言で言えば、以前から追求されてきた情報コストの低減を、最新の技術を用いて行うということです。またそれによって特に金融制度の根幹が変わるべきでもありません。自動車で例えれば、今後電気自動車が中心となったとしても、ガソリン車時代の道路交通法体系の根幹をそれほど変える必要はないわけです。
例えば決済の仕組みを考えても、これまでも現金一括決済からどんどん代替されてきています。いわゆるツケ払いは江戸時代やもっと前からもありますが、近代的な割賦販売が興隆したのは1920年代のアメリカで、当時の高額商品だったラジオを割賦販売で売るという金融革新がおきました。そこで、1920年代、アメリカは大変な消費ブームがあり、その後1929年に株式相場がクラッシュしたわけで、こういうことを繰り返してきたのです。だからといって割賦販売という仕組みが悪いかというと、そんなことはないわけです。その後、進展したクレジットカードが日常化したことは周知の事実です。ここ20年程度で見ても、携帯電話を用いた決済はケニア、フィリピンなどで1990年代の終わりぐらいから出てきて、経済学者や実務家の間で話にのぼり始めたのが2000年ごろでしたけれども、ケニアやフィリピンなどでは銀行口座を持たない人たちが、携帯電話の口座を用いて電子的に決済を始めたのです。そういう意味で、その頃はフィンテックとは呼ばれていませんでしたが、ケニアのM-Pesaなどは画期的なものです。またさらに近年では、日本のスイカや、中国のアリペイなどが出てきますけれども、技術は新しくとも、大きな流れは連続しているわけです。
他の金融分野としては、借り手の情報を詳細に捉えて、少額貸付を積極的に行うというビジネスモデルがあります。昨今、例えば中国のアントファイナンシャルがすごいことをしているように紹介されることも多いようです。しかしながら、これも急にあった変革というわけでもありません。昔から借り手の情報がよくわからないときは何とかして借り手の情報を取ろうとしてきたわけです。日本の銀行は長期的な取引関係で、長いこと付き合うことによって情報を取ったり、また長いこと付き合うからこそ嘘をつけないという動機付けをしてきたと、経済理論的に解釈されてきました。なお、欧米の銀行は、早くより顧客の信用情報を共有して、共同で情報のコストを下げてきました。また、ノーベル平和賞をとったユヌス教授に創始されたバングラデシュのグラミン銀行は、それまでお金を借りられなかった人たちにグループをつくらせて、そこに連帯保証で貸すことで、低利の小額貸付を可能にしてきました。これは、経済理論的には、グループ全体で借り手責任を負わせることで、借り手の情報を相互に監視させることとなり、情報の問題を解消したものと考えられています(Ghatak and Guinnane,1999)。アントファインナンシャルなどは、このような借り手情報の取得を、膨大な商取引データに基づいて行っていて、その手法は新しいのですが、借り手情報をより完全化していこうという方向性は、昔から金融業にあるわけです。その一つの方法が、IT技術の進展によるビッグデータの活用ということで、改めて出てきたということです。
市場の失敗の再考
厚生経済学の基本定理に戻りますと、市場がよく機能すれば、社会的に最適な財配分が達成されることが分かっています。市場がよく機能する条件は何かというと、以前は2つあると考えられていました。1つは市場の完備性です。これはさまざまな状況それぞれに対応した保険やデリバティブが存在し、リスクがヘッジできることです。それからもう1つは、情報の完全性です。
情報が完全でない場合、モラルハザードや逆選択という問題があることが知られています。例えば銀行業では、借り手の企業家が真面目に働いて儲けてお金を返すか分からない(モラルハザードが起こる可能性がある)中で、単純にはお金を貸せないということになります。また、保険では、例えば必ずしも全員が医療保険を持たない制度の下では、若くて健康な人は医療保険料を払う気がせず、医療保険加入者はある程度歳をとったりして病気がちな人ばかりになりかねません。そうするとそれを見越して、医療保険料を値上げせざるを得ず、多少の病気持ちくらいではそのような高い保険加入しない選択を取りかねず、そのため重病人だけが加入し(逆選択)、保険料が高騰することになりかねません。もちろん、こういう問題は国民皆保険制度を取ることでかなり改善されます。
しかしながら、経済理論の進展もあり、最近では、情報の完全性は、市場による最適配分にとって、それほど必要ではないということが徐々にわかってきました(Prescott and Townsend, 1984; Bisin and Gottardi, 2006)。銀行業の例では、前述の通り、グループに貸すことで、借り手のモニタリングをしたり、医療保険の例では、国民皆保険制度をとり(アメリカのオバマケアや日本の制度)、またリスク毎にカテゴリー化して保険料を設定するなど、対応ができます。つまり、情報が不完全でも、色々と知恵を絞ることで、制度設計をすれば、ほぼ民間企業の努力でことが足りることが分かっています。ましてや、昨今のIT技術の進展によるビッグデータの利活用による金融業の進展というものは、金融における情報をより完全にしていく方向に向かわせています。つまり、経済学的に見ると、市場が完全に機能する方向にどんどんと向かっている状況です。したがって、今まで以上に様々な規制の必要性がなくなっていくということになります。
しかしながら、前述したマチュリティのミスマッチによる伝統的な業務を行う銀行への取付けの可能性は、情報の不完全性の問題ではなくて、市場の不完備性の問題だということがわかっています(Allen and Gale, 2004; Kilenthong and Townsend, 2017)。すなわち、他の預金者が銀行窓口に殺到しているという状況に対するリスクヘッジを可能にする保険や証券なしでは、銀行取付けの可能性があります。そのような理想的な証券を市場に導入するのはかなり難しいのですが、預金保険である程度代用ができます。しかしながら、預金保険を導入すると銀行行動に歪みが出るわけです。したがって、いわゆる伝統的な銀行業だけは、金融業の機能として、特に線引きする必要があります。そして、銀行の脆弱性には引き続き手厚いセーフティネット(預金保険や中央銀行貸付)が必要であり、それに伴う歪みを是正するための資本規制を中心としたプルーデンシャル規制がセットで必要となることは、前述の通りです。
なお、例えばある新しい企業が、「決済」サービスに特化しているといいながら、顧客から預かっている決済資金を、例えば6ヶ月以上にわたって口座に滞留させ、それを原資に貸金業を行うことがあると、明らかにマチュリティ変換をして信用創造を行なっています。その場合、その機能に着目して、その企業は、たとえ名乗りたくなくとも、「銀行」であると定義されるようにし、銀行規制に従ってもらわなければなりません。それが、機能に着目した金融制度ということになります。ここで、何が「銀行」かという定義を、実態に即して判断することが重要になります。
システミックリスク
2008年の世界金融危機の際に特に問題となったのが、「大きくて潰せない」(too big to fail)とか「重要すぎて潰せない」(too important to fail)金融機関の処置でした。それらの金融機関は、一国の経済規模に比べ、あまりにも大きかったり、または他の金融機関のネットワークの要となっているなどして、倒産に伴うコストが大きすぎると言われるような状況でした。したがって、政府が陰に陽に助けてしまわざるを得ない状況になったのです。これが問題だと考えられました。
例えば、不動産バブルがはじけるなどして、貸し込んでいた銀行が多く潰れる場合に、政治的にはともかく経済理論的には、大銀行の倒産を防ぐ必要はあまりありません。ただそうであっても政治的に助けてしまうことは、多々あるわけです。ただし、ある金融機関の倒産が、本来あるべき水準以上に他の金融機関や企業などを倒産させたり、経済活動を低下させるような場合、負の外部性がある場合と言いますが、このような場合には、経済理論的にも、政府はこのような金融機関を助ける必要が出てきます。これは、金融業に特別なことでなく、電力会社など電力供給のネットワークが、倒産によって断たれることが、一般企業や家計に大きな影響を与えると同じような状況です。金融業では、取引・決済システムにおける中枢を担っているような組織(証券取引所など)は明らかな対象となり得ます。ここで、特定の銀行や保険会社、また決済専門業者が「重要である」という理由で公的に救済すべき対象かは、その代わりの企業や組織がどの程度早くとって代われるかなどの状況を見つつ、議論の余地があります。
何れにせよ、経済学的には不確定でも、政治的にはそうしてしまうことが大いにあり得ます。実際、主要国の多くの大銀行は、明示的にそのような制度がなく、また経済学的に明らかでなくとも、いざという時は政府に助けられるだろうと、2008年以前から市場は予想していたことが分かっています(Ueda and Weder di Mauro, 2013; IMF 2014)。
このように政府が陰に陽に大手の銀行や保険会社などを助けると期待されている場合、預金保険によるセーフティネットと同様、平時から対象となる金融機関の行動に歪みが生ずる可能性があります。したがって、この「大きくて潰せない」問題の場合に関しても、プルーデンシャル規制を残さざるを得ず、特に強い資本規制などでそのような金融機関の健全性を維持することが重要となります(Chari and Kehoe, 2016)。理論上、銀行にとどまらず、広い意味での金融機関のうちそれぞれの市場でマーケットシェアの大きいものが、このような規制の対象となり得ます。なお、その他、倒産制度の透明性と迅速性を高めることなども、倒産コストを最小化し、「大きくて潰せない」問題を解消することにもつながります(IMF, 2014)。ただし、倒産制度は金融業にとどまらないより一般的な制度であり、それについての考えは後述します。
今後の金融制度のあり方
以上の2点の理由(マチュリティミスマッチと「大きくて潰せない」問題)によるプルーデンシャル規制以外は、経済学的見地からは、特に金融業に必要な規制として、考えられるものがあまりありません。したがって、今後の技術革新と国際的競争を考慮すれば、金融業における様々な規制や保護はできる限り撤廃していくべきです。以下4点ほどのトピックごとに、少々細かい提言をします。
異業種参入
異業種からの金融業とりわけ銀行業への参入は、珍しく主要国の中では日本が先行しています。欧米主要国では、金融業(finance)と 一般事業(commerce)の分離がなされており、日本のようにセブンイレブンやソニーなどが銀行子会社を設立することはできません。しかしながら、日本でも現行制度上、逆は無理であり、例えば大手銀行がコンビニエンスストアを子会社化することはできません。伝統的に世間にお金が行き渡っていなかった時代、銀行が一般事業会社を子会社として持てばそこに優先的に資金を融通して、競争を歪めることなどが考えられ、一般事業会社への大口の出資(5%以上)や偏った融資が禁じられています。これらは公正取引の観点からの規制です。偏った融資に関しては、貸出先の一極集中による銀行経営の不安定化を防ぐため、大口信用規制(一つの貸出先は銀行の自己資本比25%まで)は維持すべきと考えられます。
しかしながら、子会社(出資規制)に関しては、異業種企業の銀行子会社が、顧客の商取引履歴などの情報をもとに信用情報を補完し、既存の銀行よりもより質の高い情報で貸出をすることができうる状況です。こうした中、既存の銀行の手を縛っておけば、とてもイコールフッティングな競争環境とは言えません。現在は、銀行は子会社で銀行業務に関連したIT ビジネスには参入できますが、連結で銀行規制の対象ですので、本来的には、上に共通の親会社を戴いた兄弟会社方式で、業界をまたいだ情報の補完を可能にしていくべきと思われます。(なお、保険会社についても同様ですが、少なくとも子会社によるITビジネスも最低でも既存の銀行並みには認められていくべきでしょう。)
情報とプライバシー
経済理論的には、様々な情報が完全に皆に共有されることが望ましいのですが、個人情報が他に知られるのは苦痛と思う人々がいることも事実です。苦痛であればその対価を払わなければいけないというのが経済学的の基本的な考え方です。すなわち、情報を売買する市場をつくるべきというわけです。さらにIT技術が進めば、1人1人が個人情報を売って利用料を徴収できるようなシステムがいつかはできるはずです。例えば、カラオケで一曲歌うごとに著作権者の銀行口座に瞬時に著作権料が入るようなイメージです。そうなれば、1人1人の個人情報のうち売ってもよいと思う範囲を個人に選択させた上で、利用されるごとにお金を取るという方向に最終的には行くのではないかと思います。もちろん、高価でも利用を許可したくない人にはそのようなオプションを原則与えるべきです。また、いわゆる投資ファンドのように、個人情報の利用権をプールして、それを他の事業者に利用させ、その利用料を個人情報の保有者である個人に一年に一度配当金のような形で還元するといったビジネスも考えられます。
ただし、まだその段階まで技術は進んでいないかもしれません。そのような場合、例えば環境問題であれば、排出権取引の市場というのがあるのですが、その売買が家計や企業レベルでうまくいかない場合、炭酸ガスの排出に税金をかけて、その発生をおさえるという考え方があります。これと同じで、もし市場が技術的にうまくいかない状況であれば、データ使用税など税金でコントロールするやり方もありえます。税も取れない場合に、(炭素ガス排出規制のような)規制にするというのが、経済学的にはあるべき順番と思われます。
ただ一つ留意しないといけないことは、金融サービスの利用者にとって情報が低コストで金融業者に渡されることが、個人としては嫌でも、全体としては実は利用者の利益になっていることがあります。例えば、いわゆる信用情報の共有です。個人や中小企業の貸出に関して、過去の借入とその返却の歴史が業者には低コストで分かるようにしておけば、それぞれの銀行や貸金業者は、それらを求めるためにコストをかけたり、また勤務先や年齢など外形的な情報だけで貸すよりも、しっかりした返済をしてきた人には低利で貸すようになります(いわゆる逆選択問題の解消)。また、業界全体で貸し過ぎを防ぎ、いわゆる過重債務問題を回避できます。ですので、このような公共的で基本的な情報は、幅広く集めた上で利用料をできるだけ低くすべきです。なお、現在、貸金業者と銀行業との間に信用情報のやりとりが完全には確立されていませんが、これは早急に改善すべき点です。
異業種の大手IT企業が銀行業や貸金業に参入した場合、金融業界が蓄積した過去のデータに低コストでアクセスができる一方で、それらの企業の持つ顧客の商取引情報には既存の金融業者がアクセスできず、競争上不利ではないかという考えもあり得ます。しかしながら、既存の金融業者にも当然それぞれ固有に集めた情報を持っているわけで、全てを共有化したデータベースに入れているわけではありません。また、固有のデータによる利得を認めなければ、固有にデータを取ろうとするインセンティブも阻害します。そうは言いながらも、どのデータを共有で低コストなデータベースに入れていくべきかは、金融サービス全体の質の向上になるかを吟味しつつ、例えば商取引における購買傾向なども含めて、将来的には考えていくべき課題です。
したがって、金融に関してどの情報は低コストで多くの業者がアクセスできるいわば公共財的なものにするのか、どの情報は各企業だけが使用する、または対価を取って売却するものかの、線引きをしっかりとすることから始める必要があります。そうした上で、後者については、個人情報や企業情報の利用料を、しっかりと還元する仕組みを作っていくべきです。(なお、外国籍の企業が、日本で蓄積した情報にアクセスしたのちに、外国で売却したり、政府に渡したりといった行為をどのように防ぐかは、金融情報の問題だけではなく、より一般的な情報の取り扱いについて、現在行われている主要国間の折衝を待つ必要があります。)
情報産業と独占
いわゆるITビジネスは、情報産業であり、GAFAなどに代表されるように、(電力会社のような)自然独占的傾向を帯びていると考える向きもあるかもしれません。この場合、同じく情報産業である金融業と結びついて、放っておくとゆくゆくは世界的な寡占状態になるかもしれないと憂慮される方もいるかもしれません。ここでは公正取引法の問題として、特に触れませんし、また経済学的知見が確立した訳でもないので、あまり論じませんが、私見では、こうした議論は、今のところは杞憂ではないかと思っています。というのも、鉄道や電力会社でさえも、勃興期や1980年代以降は主要国において、民間主導の競争に委ねられています。一概に独占傾向があるからといって市場における競争がうまくいかないことには必ずしもなりません(例えばUeda, 2013)。とりわけ ITビジネスなどは栄枯盛衰が激しく、この20年ほどでも多くの企業が勃興し、潰れていますので、少なくとも当面はどこかの企業が例えば20年続くというような意味で独占があり、その弊害があるかと言えば、そのような心配はあまりないのではないかと思います。もちろん、現時点での優越的地位を利用した不公正な取引があるとすれば、それは公正取引法によって罰せられるべきです。
保護と倒産制度
金融業の規制や保護のいくつかは、破産(の社会的コスト)を回避するためという題目でなされていることも多々あります。例えば、諸外国ではあまりみられない資金移動業における最大資金移動額(100万円)、金利の高い発展途上国や貧困層にネットを介して直接(P2Pで)貸出すような場合などで問題となりそうな銀行業や貸金業の最大利息制限(20パーセント)、既存の銀行を有利にするとともにリスクマネージメントを歪みかねない公的な信用保証協会による中小企業向け貸出の手厚い信用保証(80パーセント)など、いくつかあります。
こうした規制や保護を最小化していくためには、中長期的には、倒産制度の効率性をさらに追求していく必要があります。つまり、債権者や債務者を、事前に規制で保護するというよりも、民事再生法などを柔軟に活用または改善して、事後にできる限り低コストで、新たなスタートができるようにして、債務者と債権者の双方を保護していくすべを考えるべきでしょう。倒産制度の効率性が重要なことは、理論的には過重債務の解消による経済効率性の回復というメカニズムがよく知られています。実証研究でも、倒産制度の効率性が経済成長に資することが明らかになっています(Djankov et al. 2008)。また、効率的な倒産による早めの債務処理がとりわけ金融危機の後の復調を早めるものとして、国際的なベストプラクティスとしても理解がされています(Claessens et.al., 2014)。
まとめ
金融業も他の一般的事業者と同じく、できる限り自由な競争に任せて絶え間ない革新を促す必要があります。情報技術の進展とともに昨今興隆してきている様々な金融サービス業者や異業種からの参入も、利用者利便を考えれば、大いに歓迎すべきものと言えます。新しい金融サービスについては、実務的な経験も経済学の知見もまだまだこれからというところで、適切な制度設計も今後変わり得ますが、現段階では、やはり革新的な流れを日本に根付かせるために、規制のコストを全体的に下げていく必要があるでしょう。すなわち、これまでの銀行、証券、保険といった業態別の規制を、実態に即するように、基本的な金融機能ごとの規制に変えていくとともに、どれが真に必要なものか見極め、全体として様々な規制や保護によるコストを最小化すべきです。
例外的に、明らかに必要な規制が残る業態は、要求払い預金を元に長期貸出を行う伝統的な銀行業です。銀行業には、理論的にも実証的にも明らかにされている銀行取付の可能性があり、それを防ぐための公的なセーフティネット(預金保険や中央銀行による貸出)が必要となります。しかし、そのためにリスクマネージメントに歪みが生じ、それを是正するために資本規制などのプルーデンシャル規制が必要とされます。なお、今後、様々な業をもつビジネスグループによる金融業の展開が予想されますが、この場合、いわゆるプルーデンシャル規制は、銀行(及び銀行持株会社)とその子会社を対象とすれば十分でしょう。
もう一つの例外として、保険や決済などの銀行以外の機能でありながらも、金融システム上重要と考えられる会社や組織に関しても、大手銀行と似たようなプルーデンシャル規制が必要となります。ただし、できる限り政府の事後的な救済措置を少なくする努力を、倒産制度の効率化なども通じてなし、いわゆる「大きくて潰せない」問題を抑制していくべきです。
情報技術の進展とそれに伴うビッグデータの活用などで、情報コストが大きく低下してきている現在、金融システムがより進化するチャンスです。一部の金融情報は、公共財として、国全体で活用していく必要がありますが、その他の多くの金融に関連すると思われる情報は、それを集め解析することで利益を生んでも当然のことと思います。ただし、個人情報は究極的には個人それぞれがコントロールすべきものであり、そうであれば、そうした金融関連情報の権利の明確化とそれを売買する市場の整備が必要です。その上で、データの元である個人(や法人)に利用料を払いつつ、金融業者も利益を得てより情報を集積していくインセンティブのある仕組みを作るべきです。
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