複雑化する社会におけるキャタストロフィック・リスクへの対処

東京大学政策ビジョン研究センター教授
複合リスク・ガバナンスと公共政策研究ユニット
谷口 武俊

2018/8/22

首都圏の地下鉄・鉄道網、道路網、上下水道網、電力・ガス供給網、情報通信網のマップを重ね、それらの基幹インフラの上で医療や金融を始めとする企業や行政等の組織が活動、様々なサービスを供給、そして市民生活が営まれていることを想像してほしい。

実に数えきれない要素(エージェント)が複雑に繋がり、それぞれ能力を変化させ、経験から学び、複合的相互依存関係をもち作用し合っている。その相互関係は決して線形ではなく、小さな変化が想像を越える大きな帰結を生むこともある複雑適応系である。言うまでもなく、頭の中でこの構造とその動的な挙動を思い描くことは不可能だ。

もし、政治・行政・司法という国家統治の中枢機能、金融決済や企業本社等の経済中枢機能が集積し、それに伴い「ヒト、モノ、カネ、情報」及びそれらを支える重要インフラが高度に集積する首都圏を大規模な直下型地震が襲い、それに連鎖し重要施設の重大事故が発生したらどうなるか、あるいは重要インフラへのテロ攻撃やサイバー攻撃が複合的に行われる事態や、その復旧過程でパンデミックが重畳する事態となれば、どこまで影響が拡大するか、それぞれのリスクへの対処だけでは済まないことは明らかだ。

このような破滅的なリスク事象への対処には、システムズ・アプローチによる現代社会という複雑適応系への理解が不可欠だ。そして、これが国家や組織の資源配分、政策や施策の優先順位付けを説得的なものにする。

求められるレジリエンス思考とアダプティブ・アプローチ

複雑化する社会において、様々なハザード・脅威に対する全ての脆弱性を同定し対処することは基本的に不可能に近い。複雑適応系は、多くのポジティブ及びネガティブ・フィードバックループをもち、それらの相互作用はしばしば直感に反する変化を生み、時にドラゴンキング1と呼ばれる極端事象を創発する。今後次々に新興技術が導入され、社会の複雑性が一層高まるなか、伝統的なリスクアセスメント・マネジメントのアプローチには限界がある。

では、どのような思考、アプローチが必要なのか。まずはレジリエンス思考だ。我が国のリスクマネジメントはこれまで予防的対策偏重の傾向にあるが、如何なる事態に至っても(社会的な)機能を確保するというレジリエンス思考が現代社会では求められる。レジリエンスの議論には、元の状態に戻すことや単一の最適な状態が存在するという考え方が広く浸透しているが、現状回復・維持を善しとする前提や考え方に固執すると持続可能な発展は生まれない。機能の存在を維持することを前提とし多様な平衡状態があるというエコロジカル・レジリエンスの考え方が必要だ。

次が、アダプティブ・アプローチだ。巨大なシステムは複雑性、不確実性、そして曖昧性2のレベルが総じて高い。したがって、そのリスクは制御可能であると簡単には言えない。むしろ、レジリエンスを確保しつつ、リスクに適応、順応していくという考え方が重要だ。アダプティブ・アプローチは、マネジメントの前提を継続的監視により絶えずその妥当性を検証し、必要なら修正し、状態変化に応じて方策を変えていくという、順応的学習とフィードバック制御を柱とする。現在の判断に間違いがあるかもしれないことを自覚すること、一通りの未来を期待せずに様々な事態を想定して対策を立てておくことが大切となる。

レジリエントな社会の構築への課題

複雑化する社会は、外生的要因(大規模自然災害等)だけでなく内生的要因(過剰な連結や安全裕度の喪失等)による甚大な被害をもたらすリスクに晒されている。しかし、政治・行政や産業界の意思決定者や政策立案者の多くは、困難等から目を背けるメンタリティをもつ、あるいは想像力が欠如しており、内生的な変移が本当に起こり得るとは考えようとしない。既得権益は現状維持を望みたがる。そして、究極的な便益は測定し難く、時に見え難いとはいえ、長期的便益を思い決定を行うことはめったになく、認識することすらない場合がある。

また、これらの社会的政治的要因に加え、複雑な社会経済や生態系における緩やかな変化のメカニズムについての理解は、政府や社会や企業にとっては急変するまではほとんど知覚し難く、モデル分析等を行うにも情報を得るのは容易ではないという科学的要因もある。このように複雑化する社会のリスクガバナンスには多くの困難な課題があるが、レジリエントな社会の構築に向け、皆が行動しなければならない。

破滅的なリスクへの対処やレジリエンス強化には大規模なマネジメントを要する。政府は府省庁連携・部門横断によるマルチスケールの協働によるオールハザードの国家リスクアセスメントを実施し、そこから得られる知見の活用(資源配分の優先順位付け、緊急事態対処能力の脆弱性同定、レジリエンス計画策定の基本情報、政府機関や地方公共団体におけるリスク認識の共有など)を早急に図る必要がある。

また、緊急事態においてやむを得ず行われる超法規的措置を可能な限り減らすため、政府は地方公共団体や関係業界と行政措置の特例について事前協議し、行政法規の特例セットをスタンバイ法として整備、適用訓練を実施することが望まれる。何れにしても、政府の中核の意思決定プロセスにリスクに関する系統的で明示的な考慮がしっかり組み込まれることが重要であり、政府内にリスクカルチャー3が醸成されることが必要だ。

  1. D. Sornette教授(チューリッヒ連邦工科大学)による造語で、キング(インパクトが極めて大きい)とドラゴン(ユニークな原因から生まれる)という二つのメタファーから成る。
  2. 曖昧性には、解釈的曖昧性(エビデンスや評価結果に対する異なる解釈)と規範的曖昧性(リスクの受忍可能性に対する異なる規範)がある。
  3. リスクカルチャーとは、リスクへの対処に関すること組織内の一連の信念や価値観や実践を指す。その主要な点は如何に包み隠さずリスクについて話できるか、それらの情報をコミュニティの間で共有できるか、である。

この記事は、政策ビジョン研究センター年報2017に掲載されたものです。