「データヘルス・健康経営を推進するためのコラボヘルスガイドライン」について

元 東京大学政策ビジョン研究センター特任教授(旧 健康経営研究ユニット)
尾形裕也

2018/9/27

標題の「データヘルス・健康経営を推進するためのコラボヘルスガイドライン」(以下「ガイドライン」と呼ぶ)は2017年7月に厚生労働省保険局から公表され、同省ホームページに掲載されている(全120ページ)。筆者は、同ガイドラインの一部の執筆及び総監修に携わったので、その概要について簡単にご紹介する。

まず、用語について説明しておこう。「健康経営」は、英語で言うと、Health and Productivity Management ということになる。つまり、企業や組織に勤務する従業員の健康(Health)と生産性(Productivity)を同時にマネジしていこうという発想である。「データヘルス」とは、特定健診制度やレセプトなどから得られる健康医療データの分析に基づいて加入者の健康状態に即して実施する、効果的・効率的な保健事業を指す1。この「レセプト」、正式には「診療報酬明細書」とは、病院や診療所等の医療機関が実施した診療行為について、健保組合や協会けんぽ、国保といった医療保険の保険者に対してその対価(診療報酬)を請求する書類である。

実際には、レセプトは、保険者に直接ではなく、支払基金や国保連といった保険者から委託を受けた審査支払機関に送付される。そして、請求書であるレセプトは、審査支払機関による審査・支払を経て、最終的にはおカネを払ってくれる保険者に送られることとなる。このレセプトが少し前までは信じられないことに「紙」だったのである。多くの病院等はレセプトを作成するためのコンピュータ・システム(レセコンと呼ばれる)を導入しており、院内では電子化は進んでいた。問題は、そうした電子請求情報をまたわざわざ「紙」に落して請求していたという点である。これは審査支払の効率性という面からも、またセキュリティの面からも大いに問題がある方式であった。政府は早くからこれを電子請求にすべきであるとしてきたが、一部に反対意見もあってなかなか実現できずにいた。

それが、近年ようやく急速に進展し、現在ではほとんどのレセプトが電子請求の形になっている。これが「レセプトの電子化」であり、直接的には審査支払の効率化を目的としたものであることは言うまでもないが、もう1つ、それ以上に大きな効果が期待されるのが「データヘルス」なのである。レセプトの最終的な保有者である保険者がデータヘルスを活用することによって、保険者が医療保険の運営主体としての機能、いわゆる「保険者機能」を発揮し、加入者の健康増進とともに、提供される医療サービスの効率化や質の向上に寄与することが期待されている。

「健康経営」は、こうしたデータヘルスの進展と軌を一にする。欧米諸国の先行研究によれば、従業員の健康関連コストのうち、医療費は小さくはないが、最大のものではない。実は最大のコスト要因は、Presenteeism(プレゼンティーイズム)と呼ばれる生産性の損失である。プレゼンティーイズムというのは、出勤はしているものの、健康上の理由から生産性が落ちている状況を指している。たとえば、元気な時の生産性が100の人が、体調不良等によって生産性が90に落ちていたとすると、その差の10がプレゼンティーイズムによる生産性損失ということになる。そして、このプレゼンティーイズムによる生産性損失が企業や組織の健康関連コストにおける最大の構成要因であることがわかっている。そうすると、企業や組織にとっては、医療費の適正化も重要であるが、それと並んで、こうした従業員の健康に伴う生産性の損失にいかに対応していくかが重要な経営課題であるということになる。特に、超少子高齢社会、人口減少社会に突入しつつあるわが国において、こうした「健康経営」の意義は大きいと考えられる。

「健康経営」を推進していくためには、データヘルスを活用しつつ、母体企業・組織と保険者間で連携・協力(コラボレーション)することが特に重要である。これが「コラボヘルス」であり、今回上記のガイドラインが策定されたのもそうした考え方に基づいている。同ガイドラインにおいては、初めにコラボヘルスの意義や健康経営とコラボヘルスについての一般論を展開した後に、コラボヘルス推進にあたっての実践方法および留意事項が整理されている。さらに、コラボヘルスの実践事例として6つの具体的な事例が紹介されている(そのうちの3つは、東大と共同研究を行っている企業・組織の事例である)。そして最後に参考資料として統計データが付されている。コラボヘルスの必要性については、これまでも様々に論じられてきたが、その具体的な推進方法を本格的に論じた資料は同ガイドラインが初めてであろう。

「健康経営」については、わが国においても、近年における健康経営銘柄の選定や健康経営優良法人の認定等を通じて、ようやく広がりつつある。同ガイドラインが「健康経営」のさらなる普及拡大に寄与することが期待される。また、東京大学政策ビジョン研究センターに「健康経営研究ユニット」が設置され、本格的な活動を開始したのが2013(平成25)年4月である。同研究ユニットでは、「健康経営」について、日本の実際の企業や組織の協力を得て、プレゼンティーイズムの測定や健診データ、レセプトデータの分析を含む実証研究を展開しており、これまでのところ(もちろん医療費が相対的に低いといった日本の特色を含みつつ)基本的には欧米諸国の先行研究等とほぼ整合的な結果を得ている。

健康経営をわが国の経済社会に定着させ、長期的に持続可能なものとしていく ためには、エビデンスに基づきPDCAサイクル2を回していくことが重要である。これまでの東大における研究はその一翼を担うものであった。今後、健康経営銘柄の選定等に使われている健康経営度調査データの分析等によるさらなるエビデンスの蓄積及び調査の改善を通じ、健康経営の一層の普及拡大が図られることが期待される3

  1. 厚生労働省ホームページによれば、「データヘルス」は、「近年、健診やレセプトなどの健康医療情報は、平成20年の特定健診制度の導入やレセプトの電子化にともない、その電子的管理が進んでいます。これにより、従来は困難だった電子的に保有された健康医療情報を活用した分析が可能となってきました。データヘルスとは、医療保険者がこうした分析を行った上で行う、加入者の健康状態に即したより効果的・効率的な保健事業を指します」とされている。
  2. Plan(計画) → Do(実行) → Check(評価) → Act(改善)の4段階を繰り返すことによって、業務を改善していく方法。
  3. 経済産業省平成27年度健康寿命延伸産業創出推進事業「健康経営評価指標の策定・活用事業」東大WG成果報告書

この記事は、政策ビジョン研究センター年報2017に掲載されたものです。