ナノテクノロジーの急進と社会実装への課題

東京大学政策ビジョン研究センター准教授
佐々木 一

2018/12/5

ナノテクノロジーは原子や分子の配列をナノスケール(10億分の1メートル)の単位で制御することによって従前には得られなかった物理的特性や化学的特性を獲得する技術の総称である。ノーベル物理学賞受賞者ファインマン博士が1959年に行った "There's plenty of room at the bottom" の講演がナノテクノロジーの概念的起源とされている。以来、フラーレンの発見(1984年)、単層カーボンナノチューブの発見(1991年)といったブレークスルーにより、概念に留まっていたものが現実のものとして我々の生活に影響を与え始めてきた。いまや生命科学、医療、材料工学、光学、エレクトロニクス、ひいてはITといった広範な分野においてその応用事例が実現している。

ナノテクノロジーに関連する論文出版数の推移

ナノテクノロジーにおける学術知識は急速に増加をしており、2017年までに出版された関連学術知識は周辺分野を含めると1,431,929件にのぼる。また、量的拡大のみならず、その多様な応用可能性から、この分野の知識構造はダイナミックに変化しており、日々新たな新興分野が創出している。

ナノテクノロジーはその懐の深さから、社会課題解決への潜在力としても高い期待が寄せられている。ナノテクノロジー、とくにナノカーボンに関する学術知識の中で近年拡大しつつある分野としてバイオセンサ、リチウムイオン電池などが挙げられる(Y. Nakashio et al. 2016)。これはサステナビリティ(持続可能な社会)の文脈におけるナノテクノロジーへの期待を表す。同様に、ロボット工学、細胞生物学、口腔内外科など、超高齢化社会における課題解決に不可欠な分野の新興も観察できる。自然科学において発展してきたナノテクノロジーが、いまや社会科学の分野において高い存在感をあらわしつつある。

米国ではナノテクノロジーのような新生技術がラストベルトにおける先進的製造業の雇用機会を大きく成長させている。オハイオ州アクロン大学では高分子分野の学生を多く排し、四大タイヤメーカーは高機能高分子事業の中心となった。ノースカロライナ州でも同様、不織布研究が盛んな州立大学では耐熱繊維や耐化学物質繊維の先進的研究が進んでいる。この様に米国のラストベルトはナノテクノロジーの中心地として変貌を遂げている。

米国 MIT の MIT. nano や ANT (Albany Nanotech)、仏国の MINATEC (Micro and Nano- technologies Campus)、中国の Herbert Gleiter ナノ科学研究所など、世界のナノテクノロジーの魅力的な研究拠点はそれらの国の科学技術に対する姿勢を推察するに十分である。米国の超党派シンクタンクにより2005年に設立された、"Project on Emerging Nanotechnologies" は、ナノテクノロジーの社会的、政治的、および公共の安全面に取り組むことを意図したプロジェクトである。研究者、政府、業界、NGO、政策立案者などが長期的に協力し知識と規制における、研究と政策のギャップを特定し、それらを埋めるための戦略を策定する目的に努めている。

このような世界的なナノテクノロジーの潮流の中で、科学技術政策の観点から議論するべき視点を挙げたい。ひとつにはダイナミックに変化する学術領域の動向を客観的かつ迅速に捉えて科学技術政策及び技術経営に活かす仕組みを作るべきである(H. Sasaki et al. 2016)。膨大に増え続ける科学知識や技術知識をビッグデータとして扱い新たな科学的発見や意思決定につなげる、サイエントメトリクス(科学計量学)と呼ばれる分野がある。論文や特許文書を対象にした機械学習や表現学習を用いた解析から今後の動向を把握し萌芽的な知識を抽出する技術や、新たな化合物や複合材の発見を目的としたマテリアルズインフォマティクスに関わる情報技術も生み出されつつ有る。

膨大に増加し続け常に変化を伴う知識領域の中でいかに早期に有望な研究を特定するかといった視点は、いまや学術関係者のみならず政策立案者や企業における意思決定者にも不可欠である。これらのような情報技術を組織のなかで有機的に機能させるには、組織におけるインテリジェンス機能の醸成が不可欠であるがこれは一朝一夕には育たない。

また、ナノテクノロジーを社会課題の解決に活かすための領域横断的な検討の「場」を設ける必要がある。複数の領域に横断的に用いられ基盤的な役割を果たす技術であるナノテクノロジーの活用において、特定分野に閉じた議論をしていたのでは、広い社会実装に至る可能性の芽を摘みかねない。実際に、これまで活用されたことがない分野で一層活躍するポテンシャルを持つような技術は少なくない(H. Sasaki et al. 2015)。傾斜機能材料や炭素繊維強化プラスチックなどは航空宇宙産業で生まれ育った技術であるが、いまやスポーツ用品、衣類、日用品など広く活用され一大市場となっている。先入観にとらわれず新たな市場を捉えるには、特定の分野に閉じた議論では不十分である。科学技術と社会制約のギャップを埋め、両輪をスムーズに回転させるために、立場や分野を超えた「場」が不可欠である。

参考文献
  1. Y. Nakashio, T. Hara and I. Sakata. “Detectingstructural changes in the nano carbon domain based on the time distribution of text information of academic papers” Portland International Conference on Management Engineering and Technology 2016 (PICMET'16), in Hawaii, USA (4-8, Sep., 2016).
  2. The Project on Emerging Nanotechnologies,
    Retrieved from http://www.nanotechproject.org/ on 12th, Sep., 2017.
  3. Schumpeter, A rust-belt revival New businesses are breathing life into some of America's old industrial cities, The Economist,
    Retrieved from https://www.economist.com/news/business/21693944-new-businesses-are-breathing-life-some-americas-old-industrial-cities-rust-belt on 12th, Sep., 2017.
  4. H. Sasaki, T. Hara and I. Sakata, Identifying Emerging Research Related to Solar Cells Field using a Machine Learning Approach, Journal of Sustainable Development of Energy, Water and Environment Systems, Volume 4, Issue 4, pp 418-429, 2016.
  5. H. Sasaki, I Sakata and Y Kajikawa, Serendipitous Identification of Fields Derived from Technology Spillovers from Patent Analysis: Case Study of Material Science, Portland International Conference on Management Engineering and Technology 2015 (PICMET'15), in Portland, USA (2-6, Aug., 2015).

この記事は、2018年2月発行の政策ビジョン研究センター年報2017に掲載されたものです。