科学技術リスク・ガバナンス研究

東日本大震災・福島原発事故は、これからの科学技術利用に伴うリスクのガバナンスを考えていく上で様々な示唆を与えている。本研究テーマでは、

  1. 原子力安全規制基準の策定プロセスと規制制度改革
  2. 原子力発電技術の利用に伴うリスク・ガバナンスに観察される欠陥分析
  3. 放射性物質による食品汚染の暫定基準値等の策定プロセスの政策分析
  4. 震災時の金融リスク対応の整理分析

などを行ってきた。概要及び主な結果は以下の通りである。

1 原子力安全規制基準の策定プロセスと規制制度改革

福島原発事故以前の原子力安全基準策定プロセスの課題を明らかにするために、2006年の耐震審査指針改訂に至るプロセス、地震・津波の知識蓄積に対する防災政策・原子力安全基準運用の対応プロセスを分析した。その上で、福島原子力事故以降の規制制度改革のプロセスと課題を分析した。

  • 理学系専門家と工学系専門家では、例えば確率といった基本的概念に関する認識も異なっていたために、コミュニケーションは容易でなかった。特に、工学系と理学系のフレーミングの差異に基づくコミュニケーションの難しさがあった。その結果、耐震審査指針の改訂には、5年もの時間がかかった。このようなプロセスの分析に基づき、事務局と委員の役割分担も含め、誰が繋ぎの役割と責任を担うのかという課題が確認された。
  • 地震調査研究推進本部では2002年7月に長期評価を決定し三陸沖北部から房総沖の海溝寄りの プレート間大地震(津波地震)に関して、「どこでも発生する可能性があると考えた」。しかし、中央防災会議では、歴史的に地震が起こっていないため、対応の優先順位付け、「重み付け」を行う必要があるという観点から、そのような可能性を重視しなかった。このようなプロセスの分析に基づき、アセスメントにおける多様な見解を、意思決定において配慮するメカニズムの構築という課題が確認された。
  • 2012年6月に成立した原子力規制委員会設置法により、原子力規制委員会は、独立性の高い3条機関として設置され、2014年3月に原子力規制委員会と独立行政法人原子力安全基盤機構の統合が実施され、原子力規制庁の定員は545名から1025名に増大した。また、透明性確保も図られた。しかし、独立したリスク管理判断への信頼性の確保、能力の確保と人材養成、自主規制の再構築、地方自治体の役割の再定義という課題が残っていることが確認された。

2 原子力発電技術の利用に伴うリスク・ガバナンスに観察される欠陥分析

原子力発電施設のシビアアクシデント対策(訓練を含む)および緊急事態への準備・対応態勢(防災計画立案、訓練)を事例として取り上げ、福島原発事故の以前および以後のリスク・ガバナンス(リスクの知識生成と理解、リスクの意思決定と対応)にどのような欠陥(欠如、不作為、失敗)がどのアクター(事業者、規制当局、学術・技術専門家、政府・行政機関、地方自治体・住民)に観察されるか、欠陥の重大性のレベルはどの程度かについて、事故調査報告書やヒアリングや文献などに基づき分析を実施した。

  • リスクに関する知識生成と理解の局面では、電気事業者や規制機関と同じく、学術・専門家に重大な欠陥が観察される。たとえば、2002〜2006年にかけて急速に進展しつつあった津波 に関する研究の知見は、理学-工学分野のコミュニケーションの欠如・不全から、原子炉シス テム安全の専門家に共有され活かされることはなかった。結果として、リスクの早期シグナルの見落としや無視といった欠陥を誘発している。また、ハザードやリスクについての多面的分析や社会科学的分析が行われてこなかったことから、リスクの受忍/受容に影響する要素を考慮できず、また偏った、都合のいい、あるいは不完全な情報の提供を誘発するという、リスク・ガバナンスの基盤構築における重大な欠陥を生み出していた。
  • リスクの意思決定と対応の局面では、電気事業者および規制機関ともに重大な欠陥が多く観察される。たとえば、意思決定及びインセンティブ・スキームの時間フレーム(可視的で短 期的視点)とリスク問題の時間フレーム(長期的視点)を調整する能力の欠如、リスクマネジメントの政策と決定を実施するために必要な意志と資源を集めることに失敗している。そして事業者および規制当局双方に観察される最も重大な欠陥は、リスクマネジメントのための十分な組織的能力の構築あるいは維持の失敗である。
  • 福島事故以後のガバナンスの欠陥については、端的に言えば、電気事業者および規制機関に観察された欠陥は一部については改善する方向にあるものの、重大な欠陥は未だ改善されず、政府・行政機関では福島事故以前よりむしろ欠陥が悪化していることが懸念される。

3 放射性物質による食品汚染の基準値等の策定プロセスの政策分析

複合リスクの事例として原発事故により生じた食品中の放射性物質に起因する様々な複合的リスクを巡るガバナンスの課題について、主として食品安全の暫定規制値から新基準値の策定に至るまでの経緯に焦点を当てて分析と考察を行った。食品中の放射性物質により生じるリスクは、健康リスクのトレードオフにとどまらず、多様な経済的社会的リスクとの相互連関にあり、まさに複合リスク的課題を体現している。食品と放射性物質という「想定外」のリスクに直面し、それへの対応を検討する中で、これまで別々のパラダイムとして発展してきた、放射線と食品安全の行政組織体制とその管理パラダイムの違いが明確になったものの、両者を横断的につなぐ俯瞰的なガバナンスのあり方がその後も十分に模索できる構造にない実態が分かった。食品ガバナンスの具体的論点としては、第1に、科学的な不確実性の取り扱いにおいては、科学と政策判断の境界にある論点が明らかとなった。第2にリスク管理上の論点として、異なる法制度と組織体系に加えて異なる管理パラダイムが存在したことが明らかとなった。第3に、そうした異なるパラダイムやガバナンス構造が存在したものの、そうした違いを超えたメタレベルの調整メカニズムのあり方について、その後も検討がなされていないという現状があることが明らかとなった。したがって、今後の課題としては、異なる管理アプローチの違いや法制度・規制ギャップについての議論を深め、既存の組織的法的枠組みを活用しつつ、それを超えた俯瞰的対応が可能となる調整機能を有する横断的ガバナンスのあり方を事前に検討しておくことである。

4 震災時の金融リスク対応の整理分析

  • 東日本大震災は、広範な地域に面的に被害を及ぼすものであったほか、被災の内容も多面的なものであった。被災者救済対策のほか、原子力発電所事故問題、エネルギー問題、サプライチェーン問題など課題は複合化した。復旧や復興を支える金融機関自身も被災者となった。これらの情勢の進展に即応し、金融システムや実体経済活動にシステミックな影響が生じないよう、通常の自然災害時には見られない種々の特別の対策も講じられた。対策は、被災者に対する金融面での適切な対応、決済機能の確保、市場機能の維持、金融機能の維持強化などの諸施策からなる。被災者に対する各般の弾力対応措置は即日講じられた。続いて、決済機能確保のための諸措置、取引所取引の通常通りの継続等市場機能の維持策、復旧・復興活動を支える官民の各般の特別対策のほか、金融機能の維持強化ための金融機能強化法の制定と借り手対策などが時系列的にも概ねこの順序で講じられていった。金融危機対応と自然災害は必ずしも同一のものではない。しかし、有事の対策という面では共通するものもある。過去の幾多の自然災害、1990年代の日本の金融危機、今次の世界的金融危機期対策の中で培われてきた経験や反省点を、将来に生かしていくことが重要である。

これらの調査分析は、JSPS東日本大震災調査(2012-14年度)の「科学技術と政治・行政」班(リーダー:城山英明教授)共同研究会に報告し議論されるとともに、研究班メンバーによる原子力立地地域におけるコミュニケーションや安全協定や防災体制などに係る調査分析、震災後の医療・介護システムの調査分析、震災後の交通システムの復旧・復興の調査分析などの結果を加え、東日本大震災・福島原発事故の社会における科学技術の幅広い利用形態に対する影響やそれらの相互作用に関する調査成果としてまとめ、2015年春に『福島原発事故と複合リスク・ガバナンス(仮)』として出版する予定である。