- 議題:「医療・公衆衛生領域の健康危機管理・災害対策について」
- 日時:2014年5月20日 18:00〜20:00
- 会場:東京大学本郷キャンパス 山上会館 会議室1
- 講師:寺谷俊康氏 厚生労働省大臣官房厚生科学課 健康危機管理・災害対策室 室長補佐
医療・公衆衛生領域の健康危機管理・災害対策について
講師による主要な問題提起
- 健康危機管理とは
- いかなる災害や危機が起きた場合でも、救助・救出・救急医療を必ず行わなければならないが、加えて、生物テロやパンデミックの場合には、早期対応・事態対処も行わなければならない。厚労省が関わる健康危機管理にとって対象をオールハザードとするのは当然の前提である。原因によらずに、具合が悪くなった人に医療を提供しなければならない。したがって、我々が「健康危機」と呼ぶ時には、人為災害や自然災害を分けず、感染症や原因不明のものなど何でも「健康危機」として捉えている。
- 図1(健康危機のスコープ)では、政府の様々な層(国、県、現場である基礎自治体)を示しているが、健康危機管理における重要な「現場」は保健所である。
図1 危機管理のスコープ
- 健康危機管理・災害対策室について
- 健康危機管理・災害対策室は大臣官房厚生科学課に属しており、厚生科学課の主要な仕事は研究のマネジメントであるが、健康危機管理・災害対策室は大臣官房の重要な役割として機管理を行う。厚労省の危機管理の出発点は薬害エイズである。どの部局にも属さず、縦割りの中に落ちてしまう問題を拾うため、1997年、大臣官房の厚生科学課の中に、前身である健康危機管理対策室が設置された。
- 医療政策を担う医政局、公衆政策を担う健康局、診療報酬を預かる保険局、その他色々なところに健康や医療に関わる分野があり、医師(医系技官)が多く配置されている。通常の予算や法律といった慎重にじっくりと扱うべき情報の流れとは別に、機動的に柔軟に扱うべき健康危機管理の情報ネットワークがあり、医系技官等の技術系官僚が深く関わっている
- 日本の健康危機管理の歴史
- 戦前の健康危機は結核や労働災害などが主であった。1940、50年代には感染症の抑制が課題で、旧内務省の警察行政や警察衛生と結び付いていた。感染症がある程度制圧されると、公害の問題が発生した。当時は環境省がなかったため、こうした仕事は厚生省が担っていたが、今では「環境保健」という名前で環境省が担っている。
- 厚生省では1980年代の薬害問題の苦い経験から、危機管理体制の整備が進められた。その最大の反省は、情報の共有と処理、意思決定の流れがうまくできていなかったことである。ある担当者が、危ないかもしれないと認識した場合に、認識を共有し、アセスメントを行い、どの時点で対処していくかということを意思決定する仕組みがなかったことが一番の問題であったと考えられた。その反省に立って省内体制が整えられ、1997年に健康危機管理指針を策定し、健康危機管理対策室が設置され、医薬品、食中毒、感染症、飲料水の実施要領が策定された。
- 1995年以降、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件といった、重大な事件が生じた。DMAT(災害派遣医療チーム)という災害医療の仕組みは、この阪神淡路大震災が契機となった。
- 東日本大震災後の組織改編
- 元々厚労省には自然災害を統括する部局として、社会・援護局に災害救助・救援対策室があったが、これはアクティブに災害時に保健や医療サービスを提供するというよりは、災害救助法を活用して、炊出しや住まいのことを行うなど、生活を守るという生活保護等との並びの発想のものであった。一方で、先述の、薬害等の新しい危機に対応する大臣官房厚生科学課の健康危機管理対策室があった。しかし両者は別々の部局であったため、いわゆる縦割りとなっておりお互いが譲り合うようなところがあった。
- 東日本大震災後に災害救助法が内閣府に移管された。災害救助・救援対策室のうち災害救助法関連が内閣府に移動し、残り半分が健康危機管理対策室と統合され、2013年10月より健康危機管理・災害対策室となった。所掌業務として、原因不明の公衆衛生上の危害あるいは緊急事態への対処に加え、災害対策が加わったことで、どのような原因でも原因不明でも、自然災害でも人為災害でも、とにかく危ないことが起きた時には、一元的に対応する部局というものが、偶然に誕生した。危機や災害の問題は部局横断的であることは頭でわかっていたつもりだったが、2室の統合を経験してみて、間に重要な問題が落ちていたことを実感した。全ての危機と災害を横断的に取り扱う部局が存在することが重要であると身をもって感じた。
- 情報収集と初動体制
- 初期対応(early detection)のためには情報共有が重要である。情報が揃うまで動かないのでは遅い。少しでも情報があったならば、その情報をもとに動くか動かないかを決断する必要がある。漫然と先延ばしにするのではなく、一旦、動かないことを決めたら、次に何があったら動くのかを、常に考えておくことが重要である。爆発といった災害が起きた場合はオンセットが明確であり初期対応のスイッチをいれることが簡単であるが、難しいのは、少しずつリスクが高まっていく状況であり、規制も含めて何らかの手をうつ必要があるのか、ないのかについて評価し続けることが重要である。
- 健康危機管理・災害対策室を中心に、厚労省に上がってくる情報を吸い上げる仕組みができている。国内外の健康危機情報には、研究者が出すものも、様々な機関を通じて入って来るものもある。一定の条件にはまるものは全て当室に集積され、更にその中で条件にはまるものは内閣官房等に情報提供することで、政府全体で共有する。情報を掴んだら、共有するだけでは意味がなく評価と決断が必要なため、関係部局の代表者が集まる健康危機管理調整会議を開催し、今いかなる対応が必要か議論し、行動する。すなわち情報収集を一元化し、それを抱え込むのではなく、解決に必要な関係者を集めた場で議論する。関係者として医系技官を含む行政官だけでは足りない場合には感染研究所や保健医療科学院といった公衆衛生の有識者を含めた会議を開催することもある。
- 平時の健康危機管理という言葉は変に聞こえるが、厚労省においては健康危機管理のほとんどが通常の業務の範囲に入る。例えば、保健所にとっては、生物テロ、地震、火山噴火、原子力災害などになるといわゆる災害時の健康危機管理を担うことになるが、感染症や食中毒は日常茶飯事に起きていることであり、通常の業務の範疇になっている。感染症の場合、広がりやすさと致死率によって対応が決まる。原因が分からない場合は、保健所にとって対応が難しい。しかし、原因が分からないからといって手を打たないとどんどん手遅れになるので、保健所が地域の情報を集約し、さらに保健所から色々な研究所や警察などと連携して、情報を集約・共有し、応急対応を進めながら原因を突き詰めて行くという枠組みがある。
- パンデミック
- 例えば鳥インフルエンザの被害想定は様々にされるが、大きなものでは、(日本のみで)入院患者が50万~200万人位、死者が20万~60万人位とされる。こうした被害の大きさをイメージするためには、日本では医師が大体40万人いるから、それよりも入院患者数が上回ることをイメージして欲しい。地域で感染がおさまっていれば病院と地域の保健所が頑張ればどうにかなるが、パンデミックの状態になってしまうと、地域内のリソースだけでは力が足りないので、法律によって政府行動計画などガイドラインを作り、オールジャパンで対応するための対策が整えられている。基本的な考え方は現実主義にたっており、流行が勃発した場合には死者を完全にゼロに抑えることは非現実的であるから、それを目標にはしていない。現実的な目標は、ピークを遅らせつつ平準化すること、そして医療提供体制を強化して、医療提供のキャパシティーの中に収まるようにすることである。
- 例えば検疫の場合、これだけの数の飛行機が出入りしている中で、検疫をしたからといってシャットアウトできるとは思えないが、少しでも遅らせることができるかもしれない。この時点で感染症をうまく特定できれば、ワクチンを作る作業ができるので、その作業が数日でも速まる可能性がある。日本は島国という特性もあるので、1週間でも時間を遅らせることができないか、ワクチンを作る時間が稼げないか、という発想で検疫をやっている。
- 災害医療システム、DMAT
- 災害が発生すると、当初は救急医療(emergency medicine)のニーズが発生する。それが収まっても、今度は避難所、保健、公衆衛生サービス、メンタルヘルスケアも必要になる。どんな災害も一旦発生すれば、あらゆるフェーズで保健医療のニーズが発生し、あるフェーズの対応だけで済むことはない。
- 一般的なBCPの考え方として、災害が起きた時には、ある程度、機能を落としても仕方ないと考える(例えば電力など)。というのは、ニーズ自体が減るからである。しかし医療や保健の場合は、何らかの災害が起きると、そこにけが人や病人が発生し、むしろ平時よりもニーズが爆発的増大(サージ)してしまう。したがって、このサージが起きることを前提として対応する仕組みが必要である。一つの解決策は、災害医療システムの整備である。阪神淡路大震災では約6,400人が亡くなったが、最初の72時間で適切な対応をすればこのうち500人が死なずに済んだと言われている。
- DMAT(災害派遣医療チーム)は阪神淡路大震災の教訓から、災害医療の仕組みの重要なピースとして整備された。被災地内の医療提供の拠点として災害拠点病院があり、耐震性を備え、災害時には普段より機能を上げられるよう指定されている。さらに、周りの病院を助けることも義務付けられている。これに対して、被災地に医療チームを送り込む仕組みがDMATである。被災地内の医療に関して需要と供給のアンバランスを是正するためには、DMATのような医療チームを送る手があるが、他方、広域医療搬送、すなわち、ヘリコプターや自衛隊機を使い患者を被災地から外へ出してしまうという方法もある。
- また、どこの病院が被災したか、どのくらいのDMATチームが必要などといった情報を、厚労省や政府本部がウェブベースで見えるようにするためのEMIS(広域災害救急医療情報システム)という仕組みも作られた。病院が被災し避難が必要な状態は、被災地内のある施設に避難が必要な病人やけが人が、突然、何百人も発生することを意味する。彼らをとこかへ運ばなければならないため、病院が被災すると非常に悲惨なことになる。現に福島の場合、病院自体の被災は大したことはなくても、設定された避難区域の中に入ってしまったため、短時間の内に限られた手段で慌てて避難をしたために、避難行動中に人命を失ってしまった。
- DMATは大半が民間人で構成されており、かつ平時は違う仕事をしていることから、自衛隊や、国交省、消防・警察のチームと同列に扱われるとしんどいところがある。一方で、こうした公的なアセットに民間の勢力を協同させるという観点から、DMATはとても興味深い立場にある。加えて、全体の中で如何に機能するかという意味でコマンド・コントロールも重要である。DMATは瓦礫の下の医療というイメージが強いが、いきなり現場に行ったりはせず、まず被災地の県庁に行き、いかなるニーズがあるのか、どの病院を助けてほしいのか、等を県庁と議論する。そこで本部を立て、チームが集まってくると、次は災害拠点病院の支援として重点的にそれぞれのDMAT隊を配置する。その上で、さらにマンパワーに余裕があれば崖の下や倒壊現場などの現場にDMATが出動することもある。
- 阪神淡路大震災当時は、72時間以内の急性期に機動的に被災地に入れる医療チームがほとんどなかったことが教訓とされた。東日本大震災では、急性期の被災者は津波によってすぐに亡くなってしまうか、軽症の方かで二極分化してしまい、重症の外傷をターゲットとした急性期の医療チームはあまり活躍することができなかった。むしろ、大量の避難者に対しての急性期から中長期(慢性期)にわたる医療提供の仕組みが課題とされた。東日本大震災で得られた最大の教訓は、DMATの新たな役割として、徐々に保健所等の地域の行政にマッチさせながら、地域の医療体制の再生を手伝うことの必要性であった。
- 一方、DMATのみならず、日赤チームやら医師会チーム等の色々な医療チームが集まったことで、逆に混乱が生じた場面もあった。そのため、厚労省は、これをコーディネートする仕組み、すなわち災害医療ネーディネーターの整備や、そのための研修事業を、新たな政策として推進している。
- オールハザード・アプローチと政府内の調整
- 厚生労働省において健康危機管理・災害対策室がたちあがり、オールハザードを対象とするようになった経緯は偶然による要素が多いと思うが、これまで内閣官房との付き合いが深かった旧健康危機管理対策室と、内閣防災との付き合いが深かった旧災害救助・救援対策室が合体したことにより、危機や災害に関する政府の情報が、厚生労働省に入るときに一元化されたことによるメリットを実感する。加えて、内閣防災と内閣官房のそれぞれにはもっと連携してほしいとの意見を伝える場面も増えた。
- 当室の主要な役割は調整であり、特定の部局の所管として整理がつきづらい国際会議やテロ対策等わずかなものを除き、国民の目に直接触れる業務はほとんどない。たしかに、外面上のアウトプットはわかりづらいが、非常に重要な役割を担っていると認識している。例えば、自然災害は内閣府が、人為災害は内閣官房が、原子力災害は原子力規制庁がそれぞれ所管しているが、これらが一緒に起きることもありえる。また、自然災害にしても、内閣府防災の中で計画・訓練・応急対応が有機的に結びついていないといった、いわゆる縦割りの問題が見受けられる。内閣府や内閣官房等は、省庁の間に落ちるような課題を積極的に拾い、明確化しつつ整理し方向性を示すなどして、各省庁が連携して動きやすくなるような活動をこれまで以上に進めて欲しい。
- 原子力災害に関わって実感したのだが、文科省は大学病院を所管するのみならず、多くの研究費や研究機関を所管している強みを活かしたら良いと思う。原子力規制庁については、もちろん、原子炉やその周辺の設備等の整備による防災やリスクマネジメントはもちろん重要だが、同時に、クライシスマネジメントの観点からのさらなる充実が必要だと思う。例えば、事故が起きた時のアクションプランとして他の支援組織に求めるものを明確化しつつ、受援するプランも作っておいてほしい。厚労省は労働者を守る立場もある。事故発生時に事故収束に関わるいくつかのパターンの具体的なオペレーションを検討すべきであり、その際には想定されるオペレーションごとに投入すべきマンパワーや被ばく等のリスク等を明確化しておく必要があると思う。こうした連携の取り組みは更に進める必要があると感じている。
- オールハザードでやるとしたら、内閣官房と内閣府との業務の整理も必要になる。現在、内閣防災においても防災基本計画のみならず種々の計画が多数あり、全体を把握しづらい面があるし、毎年改定の度に同じ調整作業が生じる。もう少し全体の制度を整理すべきかもしれない。厚労省の健康危機管理・災害対策室に属し、危機管理部局が一元化した経験からは、ある組織で危機管理部局が一元化する便益はたしかに実感している。日本版FEMA(米国連邦危機管理庁)を作るという議論については、組織をくっつければいいというわけではなく、機能に着目して本質的な議論をしたうえで、エッセンスをうまく応用すればよいと思う。
- ある程度のマニュアル作りも必要だが、あらゆる災害のバリエーションに対応するマニュアルを作ることは不可能であり、マニュアル以外の臨機応変さも必要である。したがって必要なことは、臨機応変さを標準化しておくことである。とくに重要な課題が、多組織間や多勢力間の調整の具体的な方法論であり、調整メカニズムをどのように作るかである。
- 政務や政府はメディア等に対して納得感があるように対応しないと国民の納得も得られるない。しかし、それだけを気にしていると、結局、現場の最前線で一生懸命対応している方々の足を引っ張ることになる。現場が機能するように中身のある仕事をしながら、かつメディアや政治をうまく納得させることは、危機管理の非常に重要なところである。
- さらに言うと、難しい議論であるが、人命を救おうとすれば大きな観点からの取捨選択やトリアージが必要となる。行政とアカデミズムが課題を整理しながらきちんとメディア等に説明することが重要である。これまでの日本における危機管理は優先順位付けをあまりせずに、必要なオーダーに対して順番に対応していく傾向にあった可能性がある。
- 民の活用についていうと、日本医師会をはじめ医療系団体は自律や自治が発達しており、助けられてきた。今後、他の業界の民の力をどうやって引き出すかというのは重要な課題である。特に、ボランティアをどう使うかは今後の課題である。
質疑応答における主要な論点
- 図2の平成17年の地域対策保健検討会・中間報告にあるように、もともと保健所はオールハザードにやらざるを得なかった。医療を提供するのは病院だが、保健行政ひいては公衆衛生行政の最前線は保健所であり、いかなるハザード・原因であっても、保健所に活躍してもらう必要がある。厚生労働省の健康危機管理・災害対策室が、保健所の政府版かといえば、やや異なる。ちなみに保健所の所管は健康局である。現場に近い保健所では住民の健康に関わる幅広い業務がカバーされている。
図2 保健所等が想定している健康危機事案
- 東日本大震災では、関係法令の弾力運用及び規制緩和に係る通知が数多く出されている。今のところ、こうした弾力運用等を制度的に取り決めたり事前に通知を出したりすることは難しい印象である。しかし、東日本大震災を含めこれまでの災害において出された通知をリスト化し公表しておけば、便利であると思う。
- 今回、厚労省では横串の組織ができたが、省庁間の調整のために、政府全体に横串を刺す組織を設置することについてしっかりとした議論が必要だと思う。
- 厚労省はICS(インシデント・コマンド・システム)について強い関心を持っている(参考:永田高志他『ICS緊急時総合調整システム基本ガイドブック』、日本医師会、2014年)。なぜなら、厚労省が所管する勢力は軍隊のように自己完結しえないからである。他組織との協調や調整の中でようやく十分に機能するのだから、各組織のあり方や、組織間調整の方法論としてICSが非常に有用だと考えている。
- 要援護者の問題は、内閣府防災を含め関係省庁の間に落ちやすい問題である。被災地の要援護者の関連の施策にしても技術的検討を含めてさらなる充実が必要だと思う。
- ここ長年の傾向として、医療費抑制のための病床削減、あるいは救急病院と慢性期の病院の整理・統廃合という病床コントロールの動きがある。しかし、平時には多少無駄に見える病床が、災害時の収容という意味では有効かもしれないという考え方もありうる。平時の医療資源の配分状態と、危機時の状態の連続性を考えることも必要である。最近の医療計画では、災害拠点病院では緊急時に2倍に増床できるような確保をしてはいる。
- 危機管理における予防領域については、各省庁ごとに各論的になりすぎている印象である。ナショナルリスクアセスメントにも関連するが、エビデンスを元にしたリスク評価をしながら資源投入をするという仕組みについて、これから検討を深める必要があると思う。
以上