ラカイン・ロヒンギャ問題の現状とミャンマーの今後
- 【日時】
- 1月24日(水)14:00‐16:00
- 【会場】
- 東京大学 伊藤国際学術研究センター3階 中教室
- 【主催】
- 東京大学政策ビジョン研究センター(PARI)
- 【共催】
- 東京大学公共政策大学院「社会構想マネジメントを先導するグローバルリーダー養成プログラム(GSDM)」
Economic Research Institute for ASEAN and East Asia (ERIA)
- 【言語】
- 英語(通訳なし)
Speaker | David Dapice博士 |
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Harvard Kennedy School Vietnam and Myanmar Programチーフエコノミスト, Tufts大学名誉教授 |
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Discussants | 工藤年博 政策研究大学院大学 教授 |
相沢伸広 九州大学地球社会統合科学府 准教授 | |
Moderator | 芳川恒志 東京大学政策ビジョン研究センター 特任教授 |
開催報告
① Energy for Peace: エネルギー開発と和平プロセス
政策ビジョン研究センター、国際エネルギー分析と政策研究ユニットはERIA研究委託プロジェクトとして、ミャンマーにおけるエネルギー問題の解決策提案に取り組んできた。その過程で、同国の和平プロセスの議論に配慮するようになった。というのも、エネルギー問題を単体として解決することが、和平プロセスの阻害要因になりうることを、近年の大規模電力開発が示唆しているように思われたからである。
いわゆる「規模の経済 (Economies of Scale)」の原則に従って、大規模発電・送電システムを用いてエネルギー問題の解決は提案されることが多い。ミャンマーにおいても、世界銀行等のドナーが示してきたのは、概ねその方向性であった。ところが同国では、発電予定地の周りに少数民族が居住することが多く、「利益配分 (Benefit Sharing)」について利害関係者間で合意を取ることが困難になりがちである¹ 。このため社会的に受け入れ難く、提案されてきた大規模電力システムによる、同国のエネルギー問題解決への貢献はこれまで限定的であった。また、少数民族との軋轢を生み易く、度々、より上位の国家目標である和平プロセスの障害ともなってきた。
そこで当ユニットでは、2017年より政府与党である国民民主連盟(NLD)の中央経済委員会と”Energy for Peace”イニシアチブを打ち出し、和平プロセスに配慮したエネルギー戦略を模索してきた。和平プロセスに配慮し、大規模システムに代替するエネルギー開発はいかにあるべきか?この課題に迫るため、分散型エネルギーシステムの世界的な研究機関であるUCバークレー校の再生・適正エネルギー研究所(RAEL)と2016年以来共同研究を行ってきた² 。
② The Others Within:ロヒンギャ問題
その過程で、和平プロセス自体を理解する必要を痛感するに至った。そこで一つのケースとして、昨年来世間の耳目を集めるラカイン州ロヒンギャ問題を取り上げ、同問題を精力的に調査しているハーバード大学ケネディスクール(KSG)チーフエコノミストで、当センターフェローでもあるデイヴィッド・ダピス(David Dapice)博士を講師として1月24日にセミナーを開催した³ 。当日は、工藤年博教授(GRIPS)、相澤信広准教授(九州大学)というミャンマーおよびアセアン地域研究の専門家にディスカッサントを依頼し、産官学にまたがる40名を超える聴衆がロヒンギャ問題について議論を交わした。
ここでロヒンギャ問題について若干おさらいしたい。ロヒンギャとは主にミャンマー西部ラカイン州に住むイスラム教徒であり、その多くは19世紀の第1次英緬戦争以降に強制移住させられた人々の子孫と言われる。仏教徒が大半を占めるミャンマー国内では、ミャンマー人として認知されておらず「不法滞在者」とみなされ差別の対象となっている。現在は100万人弱の人口と推定されるが、人口増加率が仏教徒に比べ高く、ラカイン州でのロヒンギャ人口は相対的に増加している。警戒を強めた仏教徒との現地での緊張関係が懸念されてきた。
こうしたラカインの不安定な政治情勢に対処するため、スーチー国家顧問は2016年8月コフィ・アナン元国連事務総長を委員長として、第3者機関としてラカイン問題調査委員会を発足させた⁴ 。同委員会は1年後、次の3点を骨子とした提言を行なった。1)ラカイン西北部に住むムスリムの移動の自由を認めるべきである。2)世代を超えてこの地に住む者に国籍を与えるべきである。3)国籍を「正規国民」「準国民」「帰化国民」と3分類しているミャンマー国籍法の改正。国籍一本化への再検討を始めるべきである。
その答申が公表された2017年8月24日の翌日、イスラム過激派「アラカン・ロヒンギャ救世軍(ARSA)」による地元の警察や政府軍への襲撃事件が生じた。報道によれば北ラカイン30ヶ所で、ARSAは地元村民らとともに自家製の粗末な武器で夜中に襲撃したと言われる。これを軍は同地域ムスリムの一斉蜂起とみなし大規模な反抗を行い、70万人もの難民がバングラディシュへと流れた。現代の「民族浄化 (Ethnic Cleansing)」として一部誇張も含みSNSなどを通じて広まり、ミャンマー政府の対応が後手に回る中で、米国始め国際社会からの批判は日増しに強まっている。
③ 第3の道:市民権の交換
ロヒンギャ問題を理解するにあたり、多様な問いが設定できる。例えば、なぜARSAが蜂起したのかと問うてみて、イスラム社会や米国軍事産業との関係を指摘することもできるかもしれない。もしくは、中国によるラカイン州チャオピュー経済特区開発との関係を焦点として、中緬関係への影響を問うことも出来るかもしれない。今回、ダピス名誉教授が焦点としたのは、逃れてきたロヒンギャ難民達の「人間の安全保障 (Human Security)」の確保であった。仏教とイスラム教、ミャンマーとバングラディシュ、中国と米国——重層的に緊張が交叉する中、難民たちの人間の安全保障を持続的に確保することは容易ではない。人間の安全保障は、強調してしすぎることはない。
教授が示された解決への方途は次の3つであった。1)アナン委員会の報告を受け入れる。もし可能であればこれが一番望ましい。2)難民らをラカインの難民キャンプに返す。このプロセスを巡って現在ミャンマーとバングラディシュでは交渉が続いている。3)バングラディシュ内に逃れているロヒンギャ難民にバングラ市民権を付与する。代わりにチッタゴン(バングラディシュ領内ミャンマー国境付近)に居住する仏教徒でミャンマーへの移住を希望する者に、ミャンマー市民権の付与を条件に移住させる。
一つ目の方途が実現できるのであれば、確かに理想的である。他方で、軍部、ラカインの(過激派)仏教グループ、そして大多数のミャンマー人は認めないと考えられる。この方途の実現可能性は極めて低いと言わざるを得ない。二つ目の方途は、ミャンマーおよびバングラディッシュ両国政府で議論が現在も続けられているが、問題の先送りとなる危険性がある。すなわち、難民が無事帰還できたとしても、現地での仏教徒との軋轢は燻っており、今後も今回と同様の危険が生じる蓋然性がある。帰還難民とARSAのような過激派イスラムグループとの結託が強まれば、政情がより不安定になる可能性も危惧される。
ここに、三つ目の方途を考える意義が生じるというわけである。いうまでもなく、市民権の交換というアイディアは奇想天外。実施にはさまざまな課題を含むと思われる。例えば、交換した後の国境管理は厳重にできるのであろうか?また、身近な資源に依存して暮らしている人々にとって、祖先から受け継ぐ土地を離れることは受け入れられるのか?さらに、バングラディシュ側にとって、自国内(過激派)仏教徒をミャンマー市民として排除することのベネフィットは、ロヒンギャ難民にバングラディシュ市民権を与えるコストを凌駕するのだろうか?
Source: Al Jazeera
④ 今後の展開:国際社会の関与
このように考えると、「3つ目の方途に進路をとるべし。」と安易には言えないように思われる。難民帰還に向けたプロセスや、アナン報告も踏まえた上での帰還後の難民の国籍問題も引き続き検討されるべきであろう。もちろん、市民権の交換も一つのオプションとして、慎重に検討されるべきである。この場合、バングラディシュ国内の仏教徒の近年の政治的な動向について理解を深めることが肝要だろう。例えば、2012年にバングラディシュ領内コックス・バザールでイスラム教徒による仏教徒排斥運動があった。こうした運動がバングラディシュの政治に持つ意味について理解を深めるのが先決と思われる。
どのような方途をとるにせよ、大切なのは今後のプロセスを「国際社会」が支援することである。現在、昨年11月の両政府の「合意」の下、今後2年での難民帰還が目指されている。この際、両政府の合意において、国際社会の関与は限定的であったことに注意したい⁵ 。国際社会からの非難が不必要に強まっている側面もあり、こうした外交上の態度は理解できる部分もある一方で、当事者間でのみ帰還を進めるのはやはり限界がある。事実、本年1月23日に開始予定であった、難民の帰還は準備不足を理由に早速延期されている。こうした状況で、肝心の難民の人間の安全保障は、依然宙ぶらりんのままである。
ロヒンギャ問題を機に、ミャンマーは国際社会からの孤立を深めている。国際社会も含めて長年皆が待ち望んだ民主化の帰結として、これほど皮肉なことはない。多様なオプションを提示しながら、粘り強く関与していくことが、国際社会に求められている。当ユニットで展開する”Energy for Peace”イニシアチブも、国際社会が生産的対話を実現するための一助として位置付ける所存である。今後の糧としたい。
¹ https://asia.nikkei.com/Viewpoints/Noah-Kittner-and-Kensuke-Yamaguchi/Hydropower-threatens-peace-in-Myanmar-but-it-doesn-t-have-to
² https://rael.berkeley.edu/project/research-program-in-energy-networks-and-conflict-resolution
³ https://ash.harvard.edu/people/david-dapice
⁴ http://www.rakhinecommission.org/
⁵ http://www.dhakatribune.com/bangladesh/foreign-affairs/2017/11/22/bangladesh-myanmar-talks-begin-amid-high-hopes-rohingya-repatriation
(文責:山口)